岡田武史さんから学ぶリーダーシップ
いろんな人がこれまで触れているし、今まで何度も読み返しているこの文章なんですが、ワールドカップを前にもう一度読み返しました。
もちろん、今の自分に勉強になることもたくさん。僕が解説できることは何もないので、印象的なところをコピペしておきます。引用しないところを探すのが難しいくらいの名分です。
↓やるか?やらないか?について
僕は「また同じことをやるのはもういい。この秘密の鍵が見つかるまで、俺は絶対現場に戻らない」と思っていて、事実Jリーグのチームからいくつかお話をいただいていたのを全部お断りしていました。そんな時(2007年11月16日)、前日本代表監督のイビチャ・オシムさんが倒れられたんです。僕がJリーグのオファーを断って、「さあもっと勉強しなきゃ」と思っている時に倒れた。
そして日本サッカー協会の人が来て、「本当に大変な仕事だということは分かっています。でも、ぜひやってください」と言われました。僕は実を言うと、そのオファーをもらった瞬間に「やる」と決めていたんです。これ、理由は本当に分からないです。自分の腹の底から、「これを絶対俺はやらないといけない。逃げちゃダメだ。これにチャレンジしないといけない」とふつふつと沸いてきたんですね。
↓「決断」について
本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。
「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でもトップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。
ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。
例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこうだ」と考えても答えは出ません。
じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。
↓素の自分、について。
じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんなこと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイントなんです。
↓選手との関係について
僕も人間ですからみんなから「いい人だ」と言われたいし、好かれたいですよ。でも、この仕事はそれができないんです。なぜなら、選手にとっての“いい人”“いい監督”というのは「自分を使ってくれる監督」ですから。僕は11人しか使えないので、あきらめないとしょうがないんです。
選手でも日本代表選手にもなるとみんなしっかりしていますから、「監督、僕はこう考えていて、こういう風にしたい」とか「私生活でももっと自由にこういうことをしたい」とかいろんなことを言ってきます。
僕は聞きます。正しいと思ったらもちろん受け入れますが、そうではなかったら「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、これはしょうがない。俺は非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」と言います。みなさんはご存じないと思いますが、つい最近もそういう事件がいろいろあって、その時もそういうスタンスを常に僕はとっていました。
↓「勝つために」決断すること、について。
そりゃあ正直、(選手を落とすことは)やりたくないですよ。ジーコが日本代表監督の時、2006年ドイツW杯直前に久保(竜彦)をメンバーから落としたんです。その時、僕は久保が所属している横浜F・マリノスの監督だったんですね。久保が落とされた後、マリノスの練習場から帰ろうとしたら、たまたま駐車場に久保の家族がいて、久保には小さなかわいい女の子がいるんですけど、その子が「ジーコだいっきらい」と叫んでいたんですね。「ああ、また俺もそうなるんだなあ」と思い出しました。
ほかにも、スタジアムに試合を見に行ったら、じーっとにらんでいる女の人がいるんですね。「身に覚えがないなあ」と思って聞いてみたら、僕がメンバーから外した選手の奥さんだった。それは当たり前なんです、そうなるんですよ。それが嫌だったら日本代表監督なんてできないのですが、そういう意味でいかにいろんな雑念を払って、チームが勝つために決断できるかが大事です。
その時に例えば、私心で「俺がこう思われたいから」「俺がこうなりたいから」と思って、選手を外したとしますよね。これは一生うらみをかいますよ。ところが自分自身のためではなく、「チームが勝つために」という純粋にそれだけでした決断というのは、いつかは伝わるんです。そりゃね、みんな落とされた時は頭にきますよ。会いたくもないでしょう。
↓「遺伝子のスイッチ」について。
本当にありとあらゆることがあって、テレビで僕のことがボロカスに言われているのを子どもが見て泣いていたりとか、家族も本当に大変な経験をしました。自分自身もそんな強い人間ではないですから、のたうちまわっていましたね。自分の部屋でものを投げたりすることもありました。
そんな中、最後にマレーシアのジョホールバルというところで、イランとの最終決戦がありました。そこで負けてもオーストラリアとのプレーオフがあったのですが、オーストラリアは大変だということで、僕はジョホールバルから家内に電話して、「もしイランに勝てなかったら、俺たちは日本に住めないと思う」と言いました。冗談じゃなく、その時本気で考えていたんです。「2年くらい海外で住むことになると思うから覚悟していてくれ」と本気で話していました。
ところが、その電話をしてちょっとすると、何かポーンと吹っ切れたんです。「ちょっと待てよ。日本のサッカーの将来が俺の肩にかかっているって、俺1人でそんなもの背負えるかい。俺は今の俺にできるベストを死ぬ気でやる、すべてを出す。でも、それ以外はできない。それでダメなら俺のせいちゃうなこれは。絶対俺のせいちゃう。あいつあいつ、俺を選んだ(日本サッカー協会)会長、あいつのせいや(笑)」と完全に開き直ってしまった。
そうしたら、怖いものは何もなくなった。何か言われても「悪いなあ、俺一生懸命やってんだけどそれ以上できないんでな。もう後はあの人(会長)に言って」という感じに完全に開き直った。本当にスイッチが入るという感じだった。要するにそうやって人間が本当に苦しい時に、簡単に逃げたりあきらめたりしなかったら、遺伝子にスイッチが入ってくるということです。
↓「目標の大切さ」について。
明確な目標はもちろん「W杯本大会でベスト4入ることに本気でチャレンジしねえか」ということ。みなさんはいろんな成功の書とか読んで「目標設定って大事だ」と思っているでしょうが、今みなさんが思っている10倍、目標は大事です。目標はすべてを変えます。
W杯で世界を驚かすために、パススピードを上げたり、フィジカルを強くしたりと、1つずつ変えていくと、かなりの時間がかかります。
ところが、一番上の目標をポンと変えると、オセロのように全部が変わります。「お前、そのパスフィードでベスト4行けるの?」「お前、そんなことでベスト4行けるのか?」と何人かの選手にはっきりと言いました。「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」「夜、酒かっくらっていて、お前ベスト4行ける?」「しょっちゅう痛い痛いと言ってグラウンドに寝転んでいて、お前ベスト4行けると思うか?」、もうこれだけでいいんです。
本気でチャレンジすることは、生半可なことではありません。犠牲が必要です。「はい、ベスト4行きます」と言うだけで行けるわけがない。やることをやらないといけない。それは大変なことです。でも、「本気でチャレンジしてみないか」という問いかけを始めて、最初は3~4人だったのが、どんどん増えてきた。これは見ていれば分かります。本気で目指すということは半端じゃないことです。それを今、やり始めてくれているんです。
↓Enjoy(楽しむこと)について
本当にEnjoyするためには何をしないといけないかというと、「頭で考えながらプレーするな」ということです。どういうことかというと、脳は(大脳)新皮質と(大脳)旧皮質からできていて、脊髄からつながっているところが旧皮質で、簡単に言うとどんな動物でも持っている本能のようなところです。そして、人間と一部の動物が発達しているのがその周りの新皮質で、ここは物事を論理的に考えたり、言葉を喋ったりするところです。
ところが、コンピュータの演算速度で例えると、新皮質は演算速度が非常に遅い。例えば、新皮質で考えながら自転車には乗れない。右足のひざをこの辺まで曲げて、このくらいまでいったら体重を左にかけて……なんて考えながら乗れないですよね。キャッチボールもできない。ひじを伸ばして、ボールが来たから指を開いて、次に閉じて……と考えていたら間に合わない。旧皮質で感覚的にやっていかないといけない。スポーツというのは旧皮質でやらないといけないんです。
ところが日本人はどうも教えられ慣れているので、ボールが来たから胸でトラップして……と新皮質で考えながらやってしまう。だから、向こうでは全然大したことないようなブラジル人がバンバン点を取る。あいつら何も考えていない。来たボールをボンと蹴るだけ。ある意味そういうことも大切。練習では考えてやらないといけない。でも、「試合ではそれを頭を使ってやるな。自分が感じたことを信じて、勇気を持ってプレーしなさい」、それがEnjoyです。
Our Team (自分のチームと思う)ことについて。
コンサドーレ札幌で監督をしていた時に忘れもしないことがありました。残り時間10分くらいで0対1で負けている時、ベンチの前を通ったサイドバックの奴が、ベンチの僕の顔を見て走っているんです。「何でこいつ見てんのかな?」と思ったのですが、分かったんです。「今、チームは負けていますけど、僕は監督に言われた役割はしっかりやってまっせ」とアピールしているんです。「アホかつうねん。お前がどんだけ役割やっても、チームが負けたら一緒やないか」と怒りが沸いてきました。
例えば、会社の商品が売れないで倒産しそうな時に、「僕は経理ですから」とか言っていたらダメ、どんなにすばらしい計算をしても会社が倒産したら一緒です。残り時間10分で0対1というのは、「みんな外に出て商品を売ってこい」という時です。でも、僕はそれをやらせてしまっていたわけなんですけどね。自分のチームを「キャプテンが何とかしてくれる」「監督が何とかしてくれる」と思わせてしまっている。「違う。お前が何とかするんだ、このチームを」ということなんです。
↓「自分で育つ」ということについて。
「何でもやってもらえるもんだ」と思っている人が多いんです。例えば、スランプになった選手というのは大体、ものほしげにこっちを見るんですよ。「何か教えてほしい、助けてほしい」という顔でね。言ってやれることはいっぱいあるんですよ。ボール蹴る時の動きとか走り方が悪いとかいろいろあるんですけど、たいてい言ってもダメなんですよ。コーチは何やかんやアドバイスしようとするのですが、「ほっとけ、ほっとけ」と言うんです。
スランプの泥沼にあえいでいる奴らが10人いるとするじゃないですか。泥沼であえいでいる時に早く手を出してバッと引き上げても、手を離したら大体もう1回落ちるんですよ。そして2回目に落ちた時というのは、中々上がってこない。これ放っておくと、10人いたら5人はそのまま沈みます。でも、5人は必死になってもがき苦しんで、自分の力で淵まではい上がってくる。その時に手を貸した奴は残ります。
その代わり5人はそのまま沈んでいきますよ。そいつらからは「あの人は何もしてくれない。ものすごく冷たい人だ」と言われますよ。だから僕はコーチに、「お前な、今お前が手を貸したら、『あの人はいい人だった』と言ってくれるけど、みんなまた落ちてしまうぞ。放っておいたら5人には『ひどい人だ』と言われるけど、5人は残るぞ。お前どっちをとる?」と言うんです。これはコーチにはちょっと酷で、人事権を持った監督でないと中々できないんですけど、それくらい誰かに頼るんじゃなくて、自分でやるという人がものすごく少ないんですよね。
↓「集中する」ことについて。
勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。
それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。
選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。
↓「コミュニケーション」について。
勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。
それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。
選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。
↓「塞翁が馬」について。
僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。
ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。