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「私淑する」ということ

休暇を利用して、約10年前に読んだ「私塾のすすめ」をもう一度読み返してみました。やっぱりいい本でした。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)


この本では「私淑する」という事を勧めている。私淑とは、「直接会ったことは無いけど、尊敬し、共感し、ロールモデルとして個人的にあこがれ続け、学ぶ対象とする」という事だ。

私にとって、この梅田氏と斎藤氏の両名はまさにこの10年ほどの間、意識し、私淑する存在であった。梅田氏はインターネット時代を広く見通し、自ら海外で挑戦し続けるビジネスパーソンとして。斎藤氏は知性と身体性の両者に精通し、いつまでも少年のような素直さをパッションをもって自らのミッションに立ち向かう教育者として、私は一方的に尊敬をしてきた。

10年ぶりに読んでみると、彼らが本書で述べた通りにネットがまさに私淑空間としての役割を果たし、多くの学びの場が生まれていくことがもはや当たり前のこととなった。一方で、述べられている原理原則は普遍性が高く、いまだみずみずしい。改めて自分にとって、学びなおし・気づきなおしの機会となった。いくつか好きなコンセプトやエピソードを提示しておく。

・「あこがれにあこがれる」。斎藤氏は、教育とは「あこがれにあこがれる」構造であると言う。何かに強烈にあこがれ、そこに向けて猛烈に勉強している先生がいれば、そこに感化されて生徒たちは学び続けるものだ。これは企業のリーダーも同じだと思う。例えば「情熱大陸」に出るような人に共感が集まるのは、本人が何かに強烈にあこがれているからだと思う。

・梅田氏が30代後半に差し掛かったころで、自身の独立起業を決断したのは、村上春樹の影響が大きいという。村上は、30代最後の3年間をイタリアとギリシャで過ごし、「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書きあげた。村上は、著書「遠い太鼓」の中で以下のように書いている。「40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かを後に置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。」 29歳の時に最初にこの本を読んだ自分も、もう39歳。何を取り、何を後に置いていくのだろうか。

・「自己内対話」の重要さ。自己内対話とは、自分と対話するのではなく、自分の中の他人と対話するという事。読書を通じて自分の中に「私淑する人」を住まわせ、そしてその他人と大量の対話をする。学ぶというのは改めてこういう事なんだと思う。

・梅田氏は42歳の時に「自分より年上の人には会わない」と決めた。その方が学びが多いと思ったからだそうだ。この判断は実は僕は結構影響を受けていて、もちろん自分の場合は年上の人ともたくさん会うけれど、自分より年少の人から学ぶことがきっと多いはずだと思い、かならず敬意を持って接するようにしている。


最後に、自分はこの本のあとがきがとても好きだ。少し長いのだけど引用してみたい。梅田氏が、斎藤氏と梅田氏のある種の共通体験を紹介している下り。

斎藤さんが自らの三十代前半を振り返り、ある著書の中でこんなことが書かれていて、私がそこに深く共感したからでした。「ある日、私はある経営者と雑談をしていて、『いずれは文科大臣をやろうと思ってるんです』と言ったことがあった。すると『ははは、バカを言ってはいけない』と一笑に付されたのである。(中略)その時は平静を装っていたが、心の中では『よくも言ったな!絶対に目にもの見せてやる』と、瞬時に自分のパッションに火をつけていた」

(略)次に、私の具体例を出してみます。私は、三十六歳の時にシリコンバレーで経営コンサルティング会社を創業しました。創業間もないころ、あるメーカーの経営者からこんな言葉を投げつけられました。「梅田くん、虚業もいいけれど、そろそろ実業の世界で活躍してみる気はないかい」

虚業、虚(うつろ)な業(なりわい)ですか・・・。
私は絶句しました。私は斎藤さんのように「平静を装」うことができず、「虚業」と口にした経営者に対して、あなたは、誇りをもって仕事をしている私に対して、とんでもなく失礼なことを言ったのだからこの場で謝罪してください、と強く言いました。新しい職業ではあるけれど、虚ろだとさげすまれる理由などどこにもない。しかしその経営者は、私が何に怒っているのかわからずに、しばらくぽかんとしていました。

(略)斎藤さんに「ははは、バカを言ってはいけない」と、私に「虚業もいいけれど」と、無意識のうちに人々に言わしめるもの。それが、斎藤さんと私が戦っている「まったく同じもの」の正体です。

(略)そこに存在するのは、「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は想像し得る」という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・といったものだけ。これらの組み合わせがじつに強固な行動倫理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会でまかり通る価値観を作り出している。

僕も、僭越ながら、この「まったく同じもの」と戦っていることに改めて気づかされた。この本が書かれてから、10年。自分の戦いもまだまだ続いています。