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クラクラ構造と組織開発

むかーし、佐藤雅彦さん(ピタゴラスイッチなどで有名な方)がエッセイの中で「クラクラ構造」ということをおっしゃっていて面白いなーと思った記憶があります。

佐藤さんによるとクラクラ構造というのはこんな感じ。

いつもコンビニで買う東京都推奨のゴミ袋である。袋から一枚とりだし、いつものようにゴミ箱にセットした。ところがゴミ袋が最後の一枚だったため、僕の手元にはゴミ袋を入れていた透明の袋だけが残った。その袋はもう使いようがなかったので、ゴミ箱に捨てた。この瞬間である、僕がいつもクラクラしてしまうのは。
 いま捨てた袋は、つい先ほどまでゴミ袋が入っていた袋である。そのときはちゃんと機能していたのでもちろんゴミではない。袋としての意味があった。ところが中のモノが全部無くなった瞬間、袋はゴミになったのだ。そして今まで中にいれていたゴミ袋の中に入ってしまう。そんな奇妙な構造が、僕をクラクラさせるのだ。

 ほかにも、「メガネを探したいのだけどそのメガネを探すためにメガネが必要」とか、「暗闇で懐中電灯を探すために懐中電灯が必要」とかそういうある種のループ構造になっている状態をさしている言葉だと私は理解してます。

最近ふと思ったのが、組織開発の場面でも似たようなことを目にするな、ということ。例えば、「日本人とタイ人のコミュニケーションのためのワークショップ」をやっている中で、「日本人とタイ人のコミュニケーションが足りない」みたいな話を声高にいう人がいたりします。

組織開発の場面だと「コミュニケーションを解決するためにコミュニケーションする」ことがあったりするので、これもある種のクラクラ構造だなと思ったりするわけですが、その構造を頭に置くことができないと、本質的な問題にリーチ出来ずに終わることもあります。

ここから感じるのは、「メタ認知」スキルをいかに養うか、ということ。「ある状況を解決しようとしている」場面で、「その状況に埋没して」しまっていてはその状況を解決できない。自分自身の置かれている状況をある種の箱庭のように客観視することが必要で、そこで求められるのは「第三者目線」であり、また自分自身のことをいったん置いておく「棚上げスキル」であったりします。

別にクラクラまではしなくていいのですが、ひとりひとりが自分自身をメタ認知できるスキルを持っている組織というのは強いんだろうな、となんとなく思うこの頃です。