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主観的判断力(好き・嫌い)について

本日は、楠木健氏のHBRの記事からインスパイアされてのエントリーです。

「好き嫌い」の復権

<要旨>
・「好き嫌い」がはっきりしない人の話は無色透明でつかみどころが無い
・優れた経営者は、少し話をしただけで好き嫌いがわりとはっきりとわかる人が多い
・経営者としてものを言うのは、スキルよりも圧倒的にセンス。優れた経営者に好き嫌いがはっきりしている人が多いのも、好き嫌いが経営の「センス」や「直観」の鋭さと密接な関係にあるから
ジョブズ氏が経営者として重要な意思決定を下す際、8割以上は形式的な論理を超えた「センス」としかいいようのないものに基づいていた
・鋭敏な直感やセンスの根っこをたどると、そこにはその人に固有の好き嫌いがある。好き嫌いを自分で意識し、好き嫌いにこだわることによって、経営者として重要なセンスが磨かれるのではないか

●ビジネスリーダー教育でも重視される「主観的判断力」

ビジネス教育の現場でも、”好き嫌い”、いわば「主観的判断力」への注目度がますます高まってきています。

経営者に求められる意思決定は「客観的判断力」「主観的判断力」によって構成されますが、従来は「客観的判断力」の教育が中心でした。客観的判断力とは、いわゆる経営学によって体系づけられているMBA的な経営手法です。これらは普遍性の高い理論やフレームワークが生き残っており(もちろん常に時代の試練は受け続けますが)、ある種「失敗を最低限に抑えるための合理的なセオリー」として習得が必須の要素です。

一方で、先が読めない時代に船の先頭に立って行き先を決めるリーダーは、理屈を越えた判断が求められます。誰にも正解がわからない中で、大きな時代の流れを読む嗅覚であったり、新しい正解を自ら作っていく才覚や意志であったり、そう言った「センス」とも呼べるような要素がますます求められるようになっています。

人材育成の現場で「部長は育てられても社長は育てられない」という言葉を聞いたことがありますが、そんな能力が本当に育成できるのかという事を思っている人も少なからずいます。しかし、ビジネススクール企業内大学でトップリーダー育成にはすでにこの要素は必ず入ってきています。


●主観的判断力と関係が深い「古典、芸術、身体感覚」

こういった要素と関係が深いもので最もポピュラーなのは「古典」でしょう。米国アスペン研究所などが代表例ですが、古典を紐解きながら人間性を養います。企業では東芝などがグローバルリーダー育成を日本アスペン研究所と行っている例が有名です。

芸術の素養も経営センスと関係が深いと言われます。有名なところでは、ソニーの故大賀社長は指揮者をされていました。また、国は違いますが中国で長くリーダー輩出の仕組みとして機能した科挙では、詩歌を科目の一つとして設定し、その内容的豊かさを評価対象としていました。(小説「蒼穹の昴」で科挙の様子は詳しく描かれているのでお勧めです)

また、「身体感覚」や「身体知」といった領域も注目されています。スティーブジョブズが座禅を愛好していたことは有名ですが、体を使う事は自らの”内的探検”を促進します。ランニングを愛好するビジネスパーソンも同様でしょう。また、イエローハットの鍵山社長や日本電産の永盛社長が取り組んで有名になった「トイレ掃除」も実際に体を動かして取り組むことで何かが見えてくる、という類のものとして近いものだと言えます。


●「なんだかよくわらかない」の壁

とはいえ、こういった要素は「なんだかよくわからない」まま取り組まれているというのが実態ではないでしょうか。実際に経験した人からも、ピンとくる人はピンとくるけど、こない人はこない、そんな反応を聞きます。

無理もない話で、古典や芸術といったものは「直接的に経営に関係しているわけではない」からです。関係してないけど大事なんだという、ある種の「飛躍」に対しての説明が今一つないからです。ベースとなる「人間力」を磨くことが大事なんだ、と言われてもそりゃそうなんだけど、でもさ、といまいち納得感が無い人もいるのではないでしょうか。このあたりが、身に着いたことが実感しやすい「スキル」と違う、「センス」の難しいところです。

この疑問に応えを出せるほどのセンスは私にもなく、問題提起だけしてそろそろこの文章は終わるのですが(笑)、こういう話を書いていると1つ思い出すエピソードが私にはあります。

私は幼いころからピアノを弾き、途中からギターと指揮をやっていたので音楽は結構好きなのですが、ある人生の先輩がこう言っていたのが印象に残っています。

「音楽やっていると、人間って理屈抜きに動くんだなぁ、という事を実感できるんですよ」

と。確かに、曲の背景を知らなくても思わず涙してしまったり、理屈抜きでノることが出来たり。詳しい、詳しくないを関係なく人を巻き込み動かすことができるパワーが、音楽にはあると思います。絵画や文学など、鑑賞に知識を要するものも中にはありますが、美しいものや心動かされるものは知識の差や文化を越えていく、というのは芸術に共通する素晴らしさだと思います。

これをヒントとすると、古典や芸術、身体知からは「根本的な人間理解が得られ、そこから人間の動かし方を学べる」のではないかという事を感じます。

かつて人間が今よりも動物に近かった頃は、合理性よりも好き嫌い、美しいか否か、等で人々は動いていたはずです。そうした人間の動物的な側面は我々の中で未だに強い影響力を持っており、理屈を越えた世界で我々の意志決定に影響を及ぼします。どのリーダーについて行くか否か、どの商品をイイネと思うか、などは実は理屈を超えた世界で「無意識に」「直感的に」意志決定されていますし、人間の意志決定が人工知能にとって代わられる事が無い限り今後もそれは続くでしょう。


こういった「主観的判断力」の領域への注目度は今後ますます高まるでしょう。ただそもそも主観的で「よくわからない」ものである側面を内包しているこの要素は、「わかろう」とするのではなく、若いうちからとにかく触れ、感じる事を続けていくしかない領域だとも思っています。