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非合理の合理

最近、若者と話す機会が多いのだけど、一見すると「非合理な選択」をする人が多いなーと思う。

・「親の反対を押し切って大企業の内定を蹴り、自分がほれ込んだ小さなベンチャー企業に入社することにしました」
・「可能性は低いけれどどうしてもプロゴルファーになりたくて、アルバイトで生計を立てながらアメリカを目指すことにします」

といったような話を今週聞かせてもらった。

そして僕のチームのメンバー(日本人)は、「来月からタイで一か月の出家をしたい」と言い出し、サンスクリットパーリー語(タイ語の原型)のお経を夜な夜な暗唱している。来月からは頭髪と眉毛をそり落とし托鉢の毎日が始まる。ぜひ頑張ってほしいので、慌てて出家休暇の規定を作った。

こういった決断は、一見すると「なんでそんな判断するの?」という非合理な選択だ。一方で、聞き手から「へーいいね!」というとてもポジティブな反応をもらうこともとても多い気がする。

人間の中には、自分の中で「本当はこうしたい」という根源的な価値観と、「世の中基準に照らせばこうすべき」という教育された価値観が両方存在し、戦っている。根源的な価値観に沿って行動しても社会的に成功する保証は全くないので、多くの人は両者のはざまで葛藤し、普通は教育された価値観にそって行動する。

一方で、根源的な価値観に沿った行動というのは人の心を打つ。「高報酬を蹴って故郷に凱旋したメジャーリーガー」といった話もそれに当てはまるかもしれない。故郷のために、家族のために、自分の夢のために、保証された道ではなく不確実な道を選ぶ、というのは無条件に人の共感を呼ぶ要素を備えている。そして思わず人は「いいね!」というリアクションをしたくなる。

そして最近では、こうした非合理な選択にこそキャリア上の合理性があると、僕は思う。

社会は今、「変わった人」を求めている。イノベーションを起こせる人が世の中に少ないからだ。そうした「変わったこと」ができる人は「変わったこと」をしたことがある人だ。企業はそうした人材の価値に気付いているので、そうした方を積極的に探しているが、まだまだ絶対量が少ない。あるいは最近の学生が保守化しているといわれる中で、絶対量はむしろ減る傾向にあるのかもしれない。だからこそ、希少性はなお高い。

自分の本心に従った非合理な選択は、若いうちはどんどんすれば良いと思う。いや、年を取ってからしても良い。それは自分の希少価値を高める、という形で合理性をもたらしてくれるだろう。