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二人の禅僧の話 ~こだわりを捨てる~

最近教わった、禅に関するお話。原坦山という禅僧の話だそうです。こちらのブログから内容を拝借しました。

【原坦山】 読後に、思わず「なるほどねぇ」と唸る禅僧の逸話 - 禅の視点 - life -

曹洞宗の学僧として知られた明治の禅僧に、原坦山(はらたんざん)がいる。その坦山がまだ若かった頃、修行仲間と二人で各地を行脚していた頃の話。

ある時、二人は橋のない小川にやってきた。普段であればじゃぶじゃぶと歩いて渡れそうな川幅の小川であるが、あいにく雨が降った後で水かさが増している。
渡れないことはないが、躊躇なしには渡りがたい水量である。さて、どうしたものか。
辺りを見渡すと、少し離れたところに小川の流れを困った顔で見つめている若い女性が立っていた。

見るとなしに女性を気にしていると、やがてその女性は着物の裾をたくし上げはじめた。どうやら小川を歩いて渡る決心をしたらしい。真っ白な美しい脛をあらわにして、小川に足をふみいれる。

すると、それを見た坦山が女性の傍に駆け寄った。
「ちょっと待ちなさい。私が背中におぶってあげますから」
そういって坦山は女性をおんぶした。
「しっかりと掴まっていてくださいよ」
女性を背負った坦山は小川へと足を踏み入れ、女性を向こう岸まで渡してあげることに無事成功。そして岸に上がると、礼を言う女性を残してさっさと先へ行ってしまった。

心中穏やかでないのは、これを見ていたもう一人の修行仲間。
「修行中の禅僧たる者が女性を背負うとは何事か」
との思いが頭から離れず、坦山の行為に対する怒りの念がいつまでもくすぶっていた。それは二人でまた歩き出してからしばらく経っても消えず、悶々とした心が続いた。
そしてやがて心の中に留めておくことが我慢ならなくなってしまい、坦山に向かって咎めるように口を開いた。
「さっきのは何だ。お前は修行中の身だろう。若い女性をおんぶするとは何事だ」

すると坦山は驚いた顔を見せて、すぐに笑い出した。
「俺はあの女をとっくに下ろしているのに、お前はまだ背負っているのか。あっはっは」

女性に執着していたのは、はたしてどちらだろうか。

この話は、我々の日々我々が陥りがちな状況をよく教えてくれていると感じます。

何でもない事実が、頭の中でさらに大きくなり、時に解釈を加えてねじ曲がり、我々の中に妄想として残り続ける。そしてその妄想が私たちを苦しめる。そんなことはないでしょうか。

結果を出すのがリーダーの仕事

最近あらためて思うことですが、リーダーの仕事を一つ上げろと言われればやはり「結果を出す」ことだなぁと思います。今回のサッカー日本代表が良い例で、結果が出れば周りの評価は一変する。業績が上がれば、スタッフのモチベーションも、細かな問題も、知らない間に解決していたりすることもある。

もちろん、結果が出ればあとは何でもよいかというとそうではない。でも結果が出ないと、様々な投資に回すお金も出せず、やりたいことができなくなる。そういう意味ではリーダーは誰よりも結果を出さないといけないし、また結果が出せそうな道筋を常に示さないといけない。

結果というのはなんとなく出るものではなくて、死に物狂いで出しに行かないと出ない。結果とは、コミットメントの先にあるものだと思います。日本代表でいうと全盛期の中田や、今回でいうと長友がチームメンバーに厳しい要求をしていましたが、コミットメントというのは、時に仲間に厳しい要求をするという形で表出します。こういう姿勢もまたリーダーシップだと思います。

その時にリーダーを襲うのは、厳しいことを言うとチームのモチベーションが下がるのではという恐怖です。チームの雰囲気が悪くなって嬉しい人は誰もいない。それはどんなリーダーでも同じでしょう。でも勝つために必要であれば、心を鬼にして言うべきことは言わないといけないこともあります。

コミットメントと対極にあるのは、批判や文句です。人間誰しも、苦しくなると不満が出るのは当たり前でしょう。それが結果を出すという目的からきているなら良いですが、ストレスを吐き出すだけなのであれば、むしろチームを勝ちから遠ざけるものです。

よく「野党になるな」といいます。与党(=当事者)の意識をがあれば、批判だけではなく提案ができるはず。批判のための批判をする野党意識はチームを勝利から遠ざけるし、何より自らのレピュテーションやモチベーションをも下げてしまう。ただ残念ながら野党意識の人を完全に変えるのは難しい。一定の割合で存在するのは仕方ないくらいに思っておくのが現実的で、それにより自らのメッセージングが影響されてはいけないでしょう。

岡田武史さんから学ぶリーダーシップ

いろんな人がこれまで触れているし、今まで何度も読み返しているこの文章なんですが、ワールドカップを前にもう一度読み返しました。
もちろん、今の自分に勉強になることもたくさん。僕が解説できることは何もないので、印象的なところをコピペしておきます。引用しないところを探すのが難しいくらいの名分です。

bizmakoto.jp


↓やるか?やらないか?について

僕は「また同じことをやるのはもういい。この秘密の鍵が見つかるまで、俺は絶対現場に戻らない」と思っていて、事実Jリーグのチームからいくつかお話をいただいていたのを全部お断りしていました。そんな時(2007年11月16日)、前日本代表監督のイビチャ・オシムさんが倒れられたんです。僕がJリーグのオファーを断って、「さあもっと勉強しなきゃ」と思っている時に倒れた。

 そして日本サッカー協会の人が来て、「本当に大変な仕事だということは分かっています。でも、ぜひやってください」と言われました。僕は実を言うと、そのオファーをもらった瞬間に「やる」と決めていたんです。これ、理由は本当に分からないです。自分の腹の底から、「これを絶対俺はやらないといけない。逃げちゃダメだ。これにチャレンジしないといけない」とふつふつと沸いてきたんですね。

↓「決断」について

本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。

 「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でもトップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。

 ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。

 例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこうだ」と考えても答えは出ません。

 じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。

↓素の自分、について。

じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんなこと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイントなんです。

↓選手との関係について

僕も人間ですからみんなから「いい人だ」と言われたいし、好かれたいですよ。でも、この仕事はそれができないんです。なぜなら、選手にとっての“いい人”“いい監督”というのは「自分を使ってくれる監督」ですから。僕は11人しか使えないので、あきらめないとしょうがないんです。

 選手でも日本代表選手にもなるとみんなしっかりしていますから、「監督、僕はこう考えていて、こういう風にしたい」とか「私生活でももっと自由にこういうことをしたい」とかいろんなことを言ってきます。

 僕は聞きます。正しいと思ったらもちろん受け入れますが、そうではなかったら「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、これはしょうがない。俺は非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」と言います。みなさんはご存じないと思いますが、つい最近もそういう事件がいろいろあって、その時もそういうスタンスを常に僕はとっていました。


↓「勝つために」決断すること、について。

そりゃあ正直、(選手を落とすことは)やりたくないですよ。ジーコが日本代表監督の時、2006年ドイツW杯直前に久保(竜彦)をメンバーから落としたんです。その時、僕は久保が所属している横浜F・マリノスの監督だったんですね。久保が落とされた後、マリノスの練習場から帰ろうとしたら、たまたま駐車場に久保の家族がいて、久保には小さなかわいい女の子がいるんですけど、その子が「ジーコだいっきらい」と叫んでいたんですね。「ああ、また俺もそうなるんだなあ」と思い出しました。

 ほかにも、スタジアムに試合を見に行ったら、じーっとにらんでいる女の人がいるんですね。「身に覚えがないなあ」と思って聞いてみたら、僕がメンバーから外した選手の奥さんだった。それは当たり前なんです、そうなるんですよ。それが嫌だったら日本代表監督なんてできないのですが、そういう意味でいかにいろんな雑念を払って、チームが勝つために決断できるかが大事です。

 その時に例えば、私心で「俺がこう思われたいから」「俺がこうなりたいから」と思って、選手を外したとしますよね。これは一生うらみをかいますよ。ところが自分自身のためではなく、「チームが勝つために」という純粋にそれだけでした決断というのは、いつかは伝わるんです。そりゃね、みんな落とされた時は頭にきますよ。会いたくもないでしょう。

↓「遺伝子のスイッチ」について。

本当にありとあらゆることがあって、テレビで僕のことがボロカスに言われているのを子どもが見て泣いていたりとか、家族も本当に大変な経験をしました。自分自身もそんな強い人間ではないですから、のたうちまわっていましたね。自分の部屋でものを投げたりすることもありました。

 そんな中、最後にマレーシアのジョホールバルというところで、イランとの最終決戦がありました。そこで負けてもオーストラリアとのプレーオフがあったのですが、オーストラリアは大変だということで、僕はジョホールバルから家内に電話して、「もしイランに勝てなかったら、俺たちは日本に住めないと思う」と言いました。冗談じゃなく、その時本気で考えていたんです。「2年くらい海外で住むことになると思うから覚悟していてくれ」と本気で話していました。

 ところが、その電話をしてちょっとすると、何かポーンと吹っ切れたんです。「ちょっと待てよ。日本のサッカーの将来が俺の肩にかかっているって、俺1人でそんなもの背負えるかい。俺は今の俺にできるベストを死ぬ気でやる、すべてを出す。でも、それ以外はできない。それでダメなら俺のせいちゃうなこれは。絶対俺のせいちゃう。あいつあいつ、俺を選んだ(日本サッカー協会)会長、あいつのせいや(笑)」と完全に開き直ってしまった。

 そうしたら、怖いものは何もなくなった。何か言われても「悪いなあ、俺一生懸命やってんだけどそれ以上できないんでな。もう後はあの人(会長)に言って」という感じに完全に開き直った。本当にスイッチが入るという感じだった。要するにそうやって人間が本当に苦しい時に、簡単に逃げたりあきらめたりしなかったら、遺伝子にスイッチが入ってくるということです。

↓「目標の大切さ」について。

明確な目標はもちろん「W杯本大会でベスト4入ることに本気でチャレンジしねえか」ということ。みなさんはいろんな成功の書とか読んで「目標設定って大事だ」と思っているでしょうが、今みなさんが思っている10倍、目標は大事です。目標はすべてを変えます。

 W杯で世界を驚かすために、パススピードを上げたり、フィジカルを強くしたりと、1つずつ変えていくと、かなりの時間がかかります。

 ところが、一番上の目標をポンと変えると、オセロのように全部が変わります。「お前、そのパスフィードでベスト4行けるの?」「お前、そんなことでベスト4行けるのか?」と何人かの選手にはっきりと言いました。「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」「夜、酒かっくらっていて、お前ベスト4行ける?」「しょっちゅう痛い痛いと言ってグラウンドに寝転んでいて、お前ベスト4行けると思うか?」、もうこれだけでいいんです。

 本気でチャレンジすることは、生半可なことではありません。犠牲が必要です。「はい、ベスト4行きます」と言うだけで行けるわけがない。やることをやらないといけない。それは大変なことです。でも、「本気でチャレンジしてみないか」という問いかけを始めて、最初は3~4人だったのが、どんどん増えてきた。これは見ていれば分かります。本気で目指すということは半端じゃないことです。それを今、やり始めてくれているんです。

↓Enjoy(楽しむこと)について

本当にEnjoyするためには何をしないといけないかというと、「頭で考えながらプレーするな」ということです。どういうことかというと、脳は(大脳)新皮質と(大脳)旧皮質からできていて、脊髄からつながっているところが旧皮質で、簡単に言うとどんな動物でも持っている本能のようなところです。そして、人間と一部の動物が発達しているのがその周りの新皮質で、ここは物事を論理的に考えたり、言葉を喋ったりするところです。

 ところが、コンピュータの演算速度で例えると、新皮質は演算速度が非常に遅い。例えば、新皮質で考えながら自転車には乗れない。右足のひざをこの辺まで曲げて、このくらいまでいったら体重を左にかけて……なんて考えながら乗れないですよね。キャッチボールもできない。ひじを伸ばして、ボールが来たから指を開いて、次に閉じて……と考えていたら間に合わない。旧皮質で感覚的にやっていかないといけない。スポーツというのは旧皮質でやらないといけないんです。

 ところが日本人はどうも教えられ慣れているので、ボールが来たから胸でトラップして……と新皮質で考えながらやってしまう。だから、向こうでは全然大したことないようなブラジル人がバンバン点を取る。あいつら何も考えていない。来たボールをボンと蹴るだけ。ある意味そういうことも大切。練習では考えてやらないといけない。でも、「試合ではそれを頭を使ってやるな。自分が感じたことを信じて、勇気を持ってプレーしなさい」、それがEnjoyです。

Our Team (自分のチームと思う)ことについて。

コンサドーレ札幌で監督をしていた時に忘れもしないことがありました。残り時間10分くらいで0対1で負けている時、ベンチの前を通ったサイドバックの奴が、ベンチの僕の顔を見て走っているんです。「何でこいつ見てんのかな?」と思ったのですが、分かったんです。「今、チームは負けていますけど、僕は監督に言われた役割はしっかりやってまっせ」とアピールしているんです。「アホかつうねん。お前がどんだけ役割やっても、チームが負けたら一緒やないか」と怒りが沸いてきました。

 例えば、会社の商品が売れないで倒産しそうな時に、「僕は経理ですから」とか言っていたらダメ、どんなにすばらしい計算をしても会社が倒産したら一緒です。残り時間10分で0対1というのは、「みんな外に出て商品を売ってこい」という時です。でも、僕はそれをやらせてしまっていたわけなんですけどね。自分のチームを「キャプテンが何とかしてくれる」「監督が何とかしてくれる」と思わせてしまっている。「違う。お前が何とかするんだ、このチームを」ということなんです。

↓「自分で育つ」ということについて。

「何でもやってもらえるもんだ」と思っている人が多いんです。例えば、スランプになった選手というのは大体、ものほしげにこっちを見るんですよ。「何か教えてほしい、助けてほしい」という顔でね。言ってやれることはいっぱいあるんですよ。ボール蹴る時の動きとか走り方が悪いとかいろいろあるんですけど、たいてい言ってもダメなんですよ。コーチは何やかんやアドバイスしようとするのですが、「ほっとけ、ほっとけ」と言うんです。

 スランプの泥沼にあえいでいる奴らが10人いるとするじゃないですか。泥沼であえいでいる時に早く手を出してバッと引き上げても、手を離したら大体もう1回落ちるんですよ。そして2回目に落ちた時というのは、中々上がってこない。これ放っておくと、10人いたら5人はそのまま沈みます。でも、5人は必死になってもがき苦しんで、自分の力で淵まではい上がってくる。その時に手を貸した奴は残ります。

 その代わり5人はそのまま沈んでいきますよ。そいつらからは「あの人は何もしてくれない。ものすごく冷たい人だ」と言われますよ。だから僕はコーチに、「お前な、今お前が手を貸したら、『あの人はいい人だった』と言ってくれるけど、みんなまた落ちてしまうぞ。放っておいたら5人には『ひどい人だ』と言われるけど、5人は残るぞ。お前どっちをとる?」と言うんです。これはコーチにはちょっと酷で、人事権を持った監督でないと中々できないんですけど、それくらい誰かに頼るんじゃなくて、自分でやるという人がものすごく少ないんですよね。

↓「集中する」ことについて。

勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。

 それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。

 選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。

↓「コミュニケーション」について。

勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。

 それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。

 選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。


↓「塞翁が馬」について。

僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。

 ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。

「セミナー」の語源について

このところ週に2日か3日は人前でしゃべるような生活をしています。あまり信じてもらえないのですが人前で話すことはあまり得意でない(少なくとも好きではない)のですが、お金を頂いている仕事ですし、当然ながら一生懸命やっています。いわゆるセミナーとかワークショップというのは紛れもなく今の私の職業です。

ふとこのセミナーという言葉を調べてみるといろいろと気づきがありました。Etymology Dictionary(語源辞典)によると、

1887, "special group-study class for advanced students," from German Seminar "group of students working with a professor," from Latin seminarium "breeding ground, plant nursery" (see seminary). Sense of "meeting for discussion of a subject" first recorded 1944.

とあり、集団で学ぶ意味のほかに、培養地を作ったり苗を植える意味もあるようです。seminary(神学校)もそういった由来からきています。さらに形容詞seminalには「影響力のある」「将来性のある」という意味があり、さらには「種子の、精液の」という意味もあります。

セミナーとは知恵の伝達であり後進の育成であり、さらには将来にわたって自分の子孫を残していくことと同義なのね、と思うと自分の仕事の意味が少しだけ深まったような気がしたのでした。

アメフト問題:腐ったリーダーを生むのは何か

アメフト問題、断片的にしか見てませんが、「真実を語らず、責任回避をしようとするコソコソした大人」と、「真実を語り、勇気をもって対峙する堂々とした若者」の対立構造がひどいこの問題。さらには若者にも下品なインタビューをする大人げないマスコミも同様にひどい。

若者には、こんな大人たちこんな日本で申し訳ないという思いがする。そして、こんな中でも正しさを貫いてくれて本当にありがとうと言いたい。どうか腐らず、自分が信じる正しさを大切にして生きていってほしいと思う。共感し応援している人はたくさんいる。

コソコソした大人たちも、昔は立派な青年だったのかもしれない、とも思う。スポーツで頂点に行くような人たちだ。心身ともに鍛えあげなければそこまで行けるはずもない。相撲協会なんかもそうだけど、なぜこうも大人になると腐ってしまうのだろう?

人間を腐らせるのは「組織」なんだと思う。硬直した組織の中では、自らの意見を抑え空気を読むことが求められるから、本音を言わないことに慣れていく。タテ社会の中では、上位者へのフィードバックもないため、嘘をついても自分が間違っていることすら気づかない。それを何十年と続けていくと、嘘を嘘とも思わないリーダーができあがる。

特に流動性が低い組織ではこれが起こる。人の出入りがあると、外から入ってきた人が「これはおかしい」と言ったり、逆に出ていくことで悪評が広まるので浄化作用が起きる。ただ、スポーツ組織の場合、相撲は相撲、アメフトはアメフト、それぞれのスポーツに関わって生きていく。他のスポーツ組織に移ることはないし、その逆もあまりない。

企業組織も同じ。転職の少ない閉鎖的な大企業では同じことが起き、不正や粉飾を生んできた。組織のリーダーというのは正しい「自己認知」を持たないといけない。自分は周りからどう見られているのか。そしてそのために「フィードバックを受け入れる」という姿勢を持ち、常に自分の襟を正すことが必要。ただ閉鎖的な組織ではそういうマインドをはぐくむ機会が少ないため、卑怯なリーダーも沢山生まれる。

ただ、個を憎んでも問題は解決しないとも思う。人間は生来的に弱い「生弱説」に立つと、誰しもが環境によっては残念な大人になってしまう可能性を秘めている。憎むべきは、人ではなく組織だ。そうでないと構造的な問題は変わらない。今回の腐った大人たちには大変残念な思いだけど、こうした大人を量産しないための仕組みにも目を向けたい。

非合理の合理

最近、若者と話す機会が多いのだけど、一見すると「非合理な選択」をする人が多いなーと思う。

・「親の反対を押し切って大企業の内定を蹴り、自分がほれ込んだ小さなベンチャー企業に入社することにしました」
・「可能性は低いけれどどうしてもプロゴルファーになりたくて、アルバイトで生計を立てながらアメリカを目指すことにします」

といったような話を今週聞かせてもらった。

そして僕のチームのメンバー(日本人)は、「来月からタイで一か月の出家をしたい」と言い出し、サンスクリットパーリー語(タイ語の原型)のお経を夜な夜な暗唱している。来月からは頭髪と眉毛をそり落とし托鉢の毎日が始まる。ぜひ頑張ってほしいので、慌てて出家休暇の規定を作った。

こういった決断は、一見すると「なんでそんな判断するの?」という非合理な選択だ。一方で、聞き手から「へーいいね!」というとてもポジティブな反応をもらうこともとても多い気がする。

人間の中には、自分の中で「本当はこうしたい」という根源的な価値観と、「世の中基準に照らせばこうすべき」という教育された価値観が両方存在し、戦っている。根源的な価値観に沿って行動しても社会的に成功する保証は全くないので、多くの人は両者のはざまで葛藤し、普通は教育された価値観にそって行動する。

一方で、根源的な価値観に沿った行動というのは人の心を打つ。「高報酬を蹴って故郷に凱旋したメジャーリーガー」といった話もそれに当てはまるかもしれない。故郷のために、家族のために、自分の夢のために、保証された道ではなく不確実な道を選ぶ、というのは無条件に人の共感を呼ぶ要素を備えている。そして思わず人は「いいね!」というリアクションをしたくなる。

そして最近では、こうした非合理な選択にこそキャリア上の合理性があると、僕は思う。

社会は今、「変わった人」を求めている。イノベーションを起こせる人が世の中に少ないからだ。そうした「変わったこと」ができる人は「変わったこと」をしたことがある人だ。企業はそうした人材の価値に気付いているので、そうした方を積極的に探しているが、まだまだ絶対量が少ない。あるいは最近の学生が保守化しているといわれる中で、絶対量はむしろ減る傾向にあるのかもしれない。だからこそ、希少性はなお高い。

自分の本心に従った非合理な選択は、若いうちはどんどんすれば良いと思う。いや、年を取ってからしても良い。それは自分の希少価値を高める、という形で合理性をもたらしてくれるだろう。

最近思うこと

最近、いろいろ悩む中で思う事。忘れないように吐き出しときますw

・自分と相手の価値観が異なることは当たり前だし、人間は大人になると基本的には変わらない。仕事は適材適所。その人の適したポジション、適したタスクの種類、適したジョブサイズ、適した働き方、をとことんまで考えてあげるのが上司の仕事。

・仕事を「やってもらう」のと「やらせる」のは紙一重。依頼の仕方とフォローの仕方ですべてが決まる。ゴールだけ伝えてやり方は問わない仕事なのか、やり方まで問いたい仕事なのか。雑な投げ方をすると、相手も困るし、それが後になって自分に返ってくる。ズレそうになったら、「お互いのために」確認することを約束しておく。

・信頼は、先払い。自分が相手を信じた分しか、相手からの信頼は返ってこない。信頼は「聞くこと」によって表現される。相手の話を遮らずに最後まで聞くこと。話を聞く態度は、話す態度よりもリーダーの能力が現れる。

・余裕がなくなった時。人間、自分がしんどくなると、だんだん相手を許容できなくなる。しんどい時ほど相手に助けてほしいのに、逆に相手の仕事の品質が悪く見えてしまう。自分の点数が下がっているから、逆に相手に100点を求めるような心理状態。しんどい時だからこそ、相手を許容してOKを出すこと。それは自分にOKを出すことでもあり、自分もやがて楽になる。

・英語×テキストは危険。英語でのテキストコミュニケーションは感情を込めるのが難しいので、バイアスを増幅させる。会って話したら何でもないようなことも、よからぬ想像をしてお互いに怒りを増幅させていることもしばしば。ちゃんと顔を見ること。絵文字やスタンプも、時に気持ちを伝える大切な配慮。

・原点に戻る。人を採用した時はその人への期待が100%からスタートするが、やがて減点していってしまう。人が信じられなくなりそうになったら、その人に出会った時のことを思い出す。なぜその人と一緒に働こうと思ったのか?今の状態はそれを大きく裏切る状態なのか?減点しているとしたらその状態を招いたのは自分ではないのか?