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通訳を付けて講演をするとどうなるか

昨日、日本からお招きしたゲストにタイ語通訳を付けてセミナーをやって頂きました。通訳を付けてやるというのは普通慣れていないことなので、少し大変そうでした。講師の方は普段豊富なネタと軽妙なトークで面白い方なのですが、昨日はそれを減らして、要点を絞ってわかりやすくする講義に切り替えておられて、さすがのアジャスト力に感服した次第です。

自分自身もタイ人相手に研修をやる場合は、英語かタイ語になります。そして多くの場合はタイ語でやったほうが効果が高く、残念ながら僕のタイ語力では通訳を付けざるを得ません。従い、似たようなアジャストメントをずっと試みてきました。日本語で話すときに比べて通訳を付けて話すときは、色々な調整が必要です。特に、メッセージを明確にすることを心がけています。タイ語は英語と同じで主語の次に動詞なので、なるべく早めに結論を言ってあげないと、訳す方が大変です。日本語はずらずらと修飾語を先に述べることも可能ですが、それをしてしまうと通訳が混乱してメッセージが正しく伝わらない可能性があります。

また、使うべきエピソードも大幅に変更する必要があります。組織のたとえ話にしても日本では「野球」の話をよく使いますが、野球のたとえ話が通じる国は世界では多くないでしょう。サッカーなら世界共通でわかってもらえます。また、企業の事例を出す場合でも、トヨタなどの世界的に有名な企業なら良いですが、楽天リクルートの話をしても誰も知りません。グローバルに知られている企業を例に出さないとわかってもらえません。かくして色々なコンテンツはかなり変更を余儀なくされます。

他にもありますが、やはり「アウェー」で講演するのは色々と大変で、海外講演に慣れていない方は最初は色々と苦労するようです。自分自身は既に東南アジアで5年ほど仕事をしていますので、逆に日本で話をするのがだんだん無理になるくらいコンテンツがアジア仕様になってしまっています(これはこれで結構問題)。

ちなみにこれは通訳を付けた場合に限らず、自分で英語で話す場合も同じだなと思います。自分も英語で講演や研修をする場合は、なるべくメッセージを明確に、一つ一つのフレーズを短く切って、また誰でもわかりやすい事例を使って話すようにしています。東南アジアの場合、相手が英語ネイティブではない、というのもその理由ですね。相手と環境によって自分のコミュニケーションを常にアジャストしないといけないわけです。例えていうならサッカー選手がそれぞれのスタジアムの芝生の状態によってプレーを調整するのと同じでしょうか。

次の世代のことが思える人間に

若いころは思いもしませんでしたが、人生というのはある意味で恐怖との戦いでもあるなと思います。

人間、少しずつ人生の年輪を重ねるにつれ、少しずつ「終わり」というものを意識するようになります。30代の自分が何言ってんねんと諸先輩方から怒られそうですが、少しずつ体力が落ちてきたり、子供も幼児から児童に成長していくのを感じる上で、なるほど人生とはこうやって進んでいくのね、ということを実感し、少し寂しく思うこともあります。そして年齢というのは残酷なもので、重ねれば重ねるほどその人の人間性が明らかになってしまう部分があるなと思っています。

先日まもなく70歳を迎えようかという経営者に、ご自身がそろそろ引退を考えている、というお話を聞かせていただきました。その方は決して卑屈になるでもなく、職業人としての人生にいったん線を引き、残った人生に向き合っていくことを冷静に捉えられていました。恐らくこれまで全力を尽くしてこられたからこその態度だと思いました。昨今は人生100年といいますから、まだまだ30年くらいその方の人生は続くかもしれませんが、それでも仕事を引退するというのはどれほどの覚悟が必要なのでしょうか。自分がいつか迎えるであろうその瞬間に、未練、後悔、悔しさ、嫉妬、といった負の感情が浮かんでこないものだろうか。それだけの人間性を備えて年を重ねられるだろうか、と我が身を振り返った次第です。

一方で、60歳くらいになっても残念な方はいます。本来、それぐらいの年であれば後進を盛り立てる側に回るべきでしょう。よく政治の世界で、「日本のリーダーは60代だが、海外のリーダーは40代であり、20歳の開きがある」と言われますが、やはり政治でもビジネスでも、リーダーとしてひのき舞台に上るのは40代くらいが良いような気がします。しかし、中には60代になっても名誉欲や金銭欲を強く持ちすぎている方もおり、それ自体はその人の生き方なので否定はしませんが、その下の人物がリーダーとして育つかというと難しいと思いますし、またそうした方は下の世代からはあまり尊敬されていない傾向にあるように思います。

自分が50歳、60歳になったときに、どんなメンタリティを持っていられるか。それは30代、40代の生き方にやはりかかっているような気がします。今のうちにできうるチャレンジを思いっきりし尽して、成功も失敗も沢山経験した時に、自分はもういいから後の人にバトンを渡そう、と思えるような気がしています。人生の時計の針が進んでいくことを過度に恐れるでもなく、冷静に向き合っていける人間になりたいと思います。

タスクを片付けるときに意識したい4つのこと

土日のどっちかはだいたい溜まったタスクをやっつける日に当てることが最近多く、満載になったタスクリストを片っ端から片づけます。とはいえ一日中ずっと集中して居られるわけもなく、下手すると関係ないネットサーフィンをして今うこともしばしば・・・(皆さんも経験あるかも知れませんが。。)それでも自分なりに生産性を上げるためのコツを実践するようにしているので、いくつか書いておきます。

1.細かい仕事からやっつける

タスクには重いものから軽いものまでさまざまあると思いますが、鉄則としてはまずは「細かい仕事」からやることです。具体的には領収書の整理とか、ちょっとした手続きとか。深い思考や検討を必要としないメールの処理などもこれに当たります。これらは仕事というよりは作業なので頭は使いませんが、処理必要なタスクとして脳のスペースを取っています。未処理タスクはストレスとなり脳の性能を低下させるので、片づけることで少し頭がすっきりします。もちろんあなたがマネジメントをしている人であれば、こういう単純作業タスクは部下か外部に渡していけるほうが望ましいです。

2.考える時にパソコンを開かない

さて細かいタスクを処理したら、あとはどちらかというと「考える」系の仕事が残っていると思います。資料の作成、計画の作成、などでしょうか。こうした仕事は、パソコンをあえて閉じてまず「紙とペン」で思考をしてしまうことを心がけると良いです。資料作成は、「構想を練る」ことと「資料として仕上げる」という2つのステップに分かれると思いますが、構想ができていないのに資料に着手するのは効率が悪いです。構想に変更が生じた時に、資料をいちいち直さないといけないからです。紙とペンでまず構想を仕上げてしまうほうが全体のスピードは上がります。

3.深い思考は「歩きながら」

例えば事業戦略や提案書の作成など、しっかり考える必要のあるタスクは、質の良い「思考」の時間をいかに作るかがポイントです。この思考ですが、「机に向かわない」方が思考が進むことが知られています。昔は「三上」といって、馬上・枕上・厠上、つまり馬に乗っているとき、寝ているとき、トイレにいるとき、が考えるのに適していると言ったそうです。今で言うとランニングしながら考える人は多いと思います。自分は、「歩く」ことと思考タイムを兼ねるようにしています。その際、歩く前に関連する本の目次をざーっと見て、「材料」を頭に放り込みます。その材料をもとに、歩きながら考えると、30分ほど立つと「煮詰まって」いることが多いです。

4.短期タスクと中長期タスクを組み合わせる

タスクには、「重要度と緊急度のマトリクス」というものがあることが良く知られています。もっとも意識したいのは「緊急ではないが重要なタスク」です。具体的には人材・組織開発、ナレッジ開発、ブランディング、等がこの領域に当たることが多いです。この領域は今すぐには困らないのでつい後回しにしてしまうのですが、着手しておかないと中長期的なビジネスの成長を阻害します。ポイントは、「短期的なタスクをやりながら中長期的な果実を得ることはできないか?」を考えることです。例えば一つの資料を作る場合でも、それをひな型としてナレッジ化できないか、外部にリリースして発信活動も兼ねることが出来ないか、そのタスクを通じて人を育てることができないか、等々、一挙両得となるようなタスクにデザインしなおして、仕事の価値そのものをあげてしまう、というやり方です。


以上、4つほど考え方を紹介しました。時間は有限ですから、時間当たりのアウトプットの高い仕事の仕方をしていきたいものです。

将棋は野蛮なゲームなのか?

テレビを見ていたら、将棋AIの開発で高名なグリムベルゲン教授という方が、昨今のAIの発展いかに将棋の技の発展に貢献しているかを語っていて面白かった。曰く、昔は悪手とされていた指し手でも、将棋AIは遠慮せずにどんどん指す。人間のプロ棋士からすると思いもしない手が繰り出されるようになっている。連勝記録を作った藤井4段はAI将棋で育った、その象徴的な存在なのだとか。なるほどーと思いました。

僕は最近チェスをやっているのだけど、チェスなど世界のボードゲームと比べて将棋の最もユニークな点は、「取った相手の駒を使える」という点。それによって終盤になっても展開がわからず最後まで楽しめる面白さがある。確かにチェスをやっているとチェスは形成が不利になるとそこから逆転することはなかなか難しい。一方、チェスも歴史の中でいろいろ工夫をされてきて、いわゆる「ステイルメイト」(引き分け)というルールがあり、形成が不利になっても引き分けに持ち込むことが出来るようになっている。少ない駒で最後まで詰め切るのは意外と難しいので、それもチェスの面白さの一つ。

ちなみにチェスと将棋のエピソードでよく知られるのが、戦後GHQと舛田棋士の間で交わされたこのエピソード。

終戦直後、日本を統治していたGHQが、「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」として禁止しようとした。将棋連盟の代表としてGHQと相対した升田は「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。(Wikipediaより)

取った駒を再利用するのは、捕虜を「虐待」しているのか、「有効活用」しているのかは見方によります。しかしヨーロッパの戦争というのは基本的には異民族、異教徒を相手にした戦争だったので、相手を味方に加える(しかも金や銀などの重要な戦力として加える)といた発想は、ゲームとはいえなかなか出てこなかったのではないか、と想像します。ゲーム一つにも文化的背景が透けて見えて面白いです。タイにも似たようなボードゲームがあり、まだやったこと無いのですが、どんなルールなのか調べてみたいと思います。

言っているようにはならないが、やっているようにはなる

最近研修の仕事が多くて、昨日はタイ・アユタヤの某社の工場で、今日はバンコク市内のオフィスで、それぞれ研修をしています。
テーマは様々で、マネジメントや、リーダーシップ、人事制度、といった領域です。タイなので基本的にはタイ人が対象で、弊社チームのタイ人に実施してもらうのですが、日本人駐在員にも同じ内容を、という事でリクエストを頂きそういう場合は自分がお話しさせて頂くことがあります。

で、最近共通して起こっている残念なこととしては、「日本人が研修をドタキャンしてしまう」ということです。だいたいが「緊急対応が入った」「顧客対応が入った」という理由なのですが・・・。タイ人スタッフは日本人をよく見ているので、「また日本人は・・・」という感じの顔をしていて、それでまた日本人とタイ人の溝が深まってしまう、ということがしばしば起きてしまいます。タイ人スタッフは日常の遅刻などはありますが、決められた研修などはきちんと出ます。

海外で働く多くの日本人は非常に仕事を頑張っていて、連日トラブル対応やパツパツのスケジュールで動いていたりしますから、つい研修などは後回しになりがちです。事情はわからなくも無いのですが、普段部下のタイ人に「時間を守ってほしい」「もっと成長してほしい」と言っている側がそうなのでは、残念ながら下はついてきません。

よく「人は、自分が言ったようにはなってくれないが、やっているようにはなる」と言います。つまり、上司が「いうこと」ではなく「やっていること」を見ているわけです。「時間を守れ」と口でいってもそうはなってくれないけど、上司が時間を守っていればそれを見て従うようになる。逆に上司が時間を守っていないと、それを見て真似してしまう。

子育てしてても似たようなことを感じますね。「部屋を片付けなさい」というなら、親が自分の部屋を片付けてないといけない。「勉強しなさい」というなら、親が勉強しているか?を自分に問いかけないといけない。自宅にある本の量が子供の優秀さと相関がある、という調査を見たことがあります。親に本を読んでいる習慣があれば、子供も自然と読むようになります。

日系企業の海外法人、まだまだ日本人が襟を正さなければならないことは色々ありそうだな、と思います。

ブログと私

「1か月間毎日ブログ書くぜ!」というなかなかストイックな企画にお誘い頂いてしまい、思わず乗っかってしまいました。
仕事の原稿も溜めてるのに・・・と各方面から怒られそうですが、「迷ったらとにかくやってみる」というタチなので、気楽にチャレンジしてみたいと思います。

今日は最初なので自分のブログに対する想いについて。

自分がブログというものに初めて出会ったのは多分2003年くらいだったと思います。ブログがまだ「weblog」と呼ばれていたころに、インターネット好きの友人がブログを書いていて、見よう見まねでブログを書いてみました。ちょうどtypepadというツールが日本でもリリースされて、誰でも簡単なブログが書けるようになった頃です。アメブロとかはまだありませんでした。

当時、のちに「ウェブ進化論」を表す梅田望夫さんがシリコンバレーからブログを書いていて、何か「知」の最先端がそこにあるような気がして、「うおお!」と興奮しながら読んでいたのを思い出します。当時はキュレーションとかもなかったので、色んなブログが更新されているかどうかを毎日チェックしていた、そんな時代だったかと。自分も文章が書ければ、こういう知識人たちの一人になれるかもしれない、そんな淡い夢を持ちながら、へたくそな文章をポツポツと書いていたのが、24歳くらいの頃でしょうか。当時はメーカー勤務なので、マーケティングの勉強にもなるかなと思ってマーケティングの記事とか良く書いていました。

それからブログはちょっと続けては辞め、ちょっと続けては辞め、と断続的に、今では読み返す気もしないような駄文を書いてきました。途中からかなり影響を受けたのは、実はちきりんさんです。今でこそ有名人となってしまいましたが、無名の頃のちきりんさんは今とは違う、時に内省的な文章も結構書かれていて、結構ファンでした。

中でも、この短いエントリーは、いまだに記憶に残っています。(2010年なので結構新しいですが)

d.hatena.ne.jp

書くことは人を救ってくれる。
そう信じています。
自分を表現することは誰にとってもとても素敵なことのはず。
多くの人に、完全に匿名で、自分の思うことをそのままに文章にして残しておいてほしいです。
誰も読んでいないなんてことはありえません。

この言葉は、大した文章もかけず悶々としていた僕を救ってくれました。「内向性の時代」でも3分の1の人は内向性だ、という話がありましたが、多くの人に「自己表現の機会」を与えてくれたインターネットってなんて素晴らしい道具なんだろう・・ということをこのころから感じ始めました。

今でも若い人に、「ブログ書いてみたら?」と勧めることが時々あります。ブログを通じて自分を表現し続けるうちに、自分の中に「信念」が溜まっていきます。今思えば、ブログを書くことなしには自分の中に芽生えなかった価値観はたくさんあったと思います。ブログは格好の自己成長ツールだと思っています。

ということで、1か月間、書き続けながら自分の変化を楽しみたいと思います。

会社を辞めてちょうど3年

会社を辞めてちょうど3年が経ちました。そういえば1年前もブログを書きました。

learningweb.hatenadiary.jp

決して順風満帆では無いですが、お陰様でクライアントと社員だけには恵まれており、何とかやってこれています。お世話になっている皆さんには感謝以外ありません。1年前の自分と比較すると、多少は進歩したかもしれません。

3年間使っている「ノート」というのがありまして、色々と気になったことを普段書き留めています。その中に、「これは覚えておこう」という先輩経営者のアドバイスや、ブログ記事などでこれは大事だと思ったものをメモした、いわば「(自分的)金言集」みたいなものがあります。時々ノートを開いて見返すのですが、改めて、結構こういう言葉に自分は支えられてきたなー、と思うのでせっかくなので一部を紹介しておきます。

「常に周囲の人に誠実に接すること。そうすれば必ず仕事は入ってくる」

「社長が諦めるまで、会社はつぶれない」

「経営者が前を向いていれば、社員はついて来てくれる」

「社長が優秀なのは当たり前。社員が優秀かどうか、が成功するベンチャーを決める」

「簡単なことをやるなら、ベンチャーをやる意味はない」

「少しのことを疎かにすることから、信頼はほころび始める」

「自分にしかできないことを、少しずつ積み重ねて行けばよい」

「あなたが人を信じることが出来ないのは、自分を信じられていないからだ」

「元気は出るものではなく、出すもの」

他にもたくさんあるのですが、ここには書けないものもあるので、知りたい方は飲みに誘ってください(笑)

3年経ってようやく1人前になったかなと思えるスタッフが出てきたり、ひとつ、ふたつ、自信の持てるプロダクトがリリースできたり、いずれも結構時間がかかったな、という想いと、でもそれくらいの時間が必要だったな、という想いが両方あります。

改めて3年って短いなと思います。よく企業の駐在員が「3年」で結果を出せと言われるのですが、それって相当タフなアサインメントだなと思います。「駐在しても慣れた頃に終わってしまう」と仰る方が多いですが、異国で、短期で結果を出すのはなかなか大変なことです。頑張っている駐在の皆さまには改めてリスペクトです。

自分もよく「いつまでタイにいるのですか?」と聞かれますが、これまで「正直わかりません」と答えてきました。ビジネスがどうなるか全く見えなかったので。でも最近は「できるだけ長くいたいと思います」と答えたりするようになってきました。自分がやっていることは腰を据えて取り組むべきことだ、ということに肯定的になれています。それが今年一年間の大きな成長かもしれません。

引き続き頑張ります。どうぞよろしくお願いします。