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起業、人事、アジア、などなど

遠い親戚との往復書簡

最近あった面白いこと。
 突然、中国にいる60代の方からメールを頂く。遠い親戚にあたる方だということで、私の実家の法事でたまたま私がタイで事業をしていることを聞きつけて、ぜひ話してみたいと思った、とメールを下さったのだ。大手製造業にお勤めでインドネシアや中国に赴任をしてこられ、今は中国法人の社長を勤めているという。
 正直一度もあったことなく、しかも親子ほどの年の離れている方とのメールのやり取りというのも初めての経験なのでどうしようかな・・くらいに思っていたけど、その不安はすぐに払拭された。
 彼は私の文章や発信を隅から隅まで読んでくださって、メールのやり取りの中で沢山の疑問をぶつけてくださった。海外法人経営のあり方、現地人のマネジメント、日本的経営とは何か、日本人は海外でどうあるべきなのか・・・お互いの興味関心がほぼシンクロしていることはすぐにわかった。僕もそのやりとりを楽しむようになり、やがてメールは10通を超えた。しかも一つ一つが長文だ。
 彼は色々と質問をしてくださったが、明らかだったのは、彼よりも僕のほうが学ぶことが多いということだった。それも当然で、彼の言葉には数十年にわたって日本的経営を海外で実践して来られた重みがある。年齢の違いも相まって、一つ一つの言葉の深みが僕にとっては非常に貴重な発見に満ちていた。
 有難いことに、彼は私を応援したいと言ってくださる。その理由は「日本人の若い世代を応援したいこと」「興味や考えが近いこと」、そして「同郷であり血縁があること」だという。3つ目の理由を聞いてなんだかハッとした。この年になって新しい親戚が見つかることなんてなかなかない。そう考えると遠い異国にいらっしゃる、自分と考えの近いこの親戚の方に非常に興味がわいてきた。この出会いはもしかしてご先祖様に導かれてるのかも?とも思ったりもする。
 そこで今年中に彼を訪ねてみることに決めた。中国は僕のビジネスのテリトリー外なので、普通に過ごしていると出張することは無い。彼にとってのバンコクも同じ。そこで、わざわざそのために予定を組んで中国を訪れてみようと思う。会うべき人がいたら会いに行く、というのは人生において大事なことだと思っているので。おそらくまだ数か月は先になるけど、実現させてみたい。どんな出会いになるか楽しみだ。

月の初めに~”良い仕事ぶり”を称える

3月になりました。良い感じで忙しい日々が続いています。印象的な出来事を一つ。

毎月末のミーティングでは各種振り返りや共有の後に、”MVP”を他己推薦で選びます。目的は3つ。①振り返りと学び。②互いの仕事に興味を持つ。③理念・行動指針の定着。最もその月に価値の高い仕事をし、またそれが理念と照らしても素晴らしかった人に、一人一票の投票をします。

7名のメンバーのうち3人から投票をもらったNさんが今月のMVP。1月入社したばかりのNさんで、種々プロジェクトにアサインされ始めて入るものの、まだサポート的な仕事が中心。また他のメンバーが出張などでオフィスを空けることが多く、入社早々たった一人でオフィスで仕事をする日が多かった。

それでも彼女が偉かったのは非常にスピーディーに仕事を仕上げ、やるべきことを納期通りに完遂する。メンバーはそれを見ていて、その仕事ぶりが「Professional」だと称賛を受けていました。僕も彼女の仕事ぶりを素晴らしいと思いましたし、またそれ以上に、メンバーがそれに気づいて称賛していたことを非常にうれしく思いました。つまりは「求める仕事ぶり」の共通理解がなされていた(またはなされつつある)ということ、と捉えています。

・タイでも企業理念や行動指針は浸透するのか?
・アジアにおいて、スタッフの仕事の品質を会社が求めるレベルまでどう引き上げていくのか?

こうした命題はおそらく永遠に問い続けるのだと思いますが、一つ一つのこうした出来事に勇気づけられます。メンバーが嬉しそうにFBにUpしていたのを見てうれしくなりました。

(FBポストより転載)

海外就職のメリット・デメリット

最近日本から弊社(タイ法人)で働いてみたいという問い合わせが増えてきました。日本でも海外就職の流れが徐々に高まっているのだと思いますが、受け入れる側としては入社してから失望させてはいけないので、海外就職のリアリティをしっかり伝えながら採用活動をする必要があると思っています。 

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 バラ色ではない海外就職

以前、「海外就職なんか絶対やめておけ」という記事が非常に的を射ているとして話題を呼びました。個人的にもここで書いてあることはとても正しいと思っています。 

現地採用就職の現実なんて、お給料が驚くほど安いし(駐在員の10分の1の場合も)、ブラック企業が(日本で有名な会社であっても)殆どだし、駐在員は本当に仕事しない(または出来ない)で待遇だけ良いし、パワハラ天国だし、帰国後に日本で海外経験が評価されるかと言うとそうでもないし、、。 

  海外の日本人コミュニティはいわゆる「駐在員」と「現地採用」というクラスタに2分されています。(最近はそこに第3のセグメント「起業家」というのもできつつありますが。)ざっくり言ってしまえば駐在員は会社から手厚い福利厚生が与えられ、比較的余裕のある生活ができます。こうしたベネフィットは不利益変更が難しいため、かつて日本が景気が良かったころの制度が比較的維持されている会社も多く、かなり優雅な生活をしてらっしゃる方もいます。

一方、自身の判断で海外に出てきた現地採用の方はそうしたベネフィットはなく、ローカルスタッフ+αの給与で仕事をされているため、駐在員のような暮らしはできません。また、上記にあるように強い想いを持って海外に飛び出してきている人が多いのに対して、その上司となることが多い駐在員は海外に自分の意志で来ているわけではないことも多々あり、そのモチベーションの差によって悩む、という話もよく耳にします。

 

海外就職の魅力は「自己効力感」

そんなことが言われながらも、海外で就職して充実感を覚えている人もたくさんいます。先日公開されたこちらのライフハッカーのブログでは、海外就職について魅力的に語ってくれています。その中で、仕事をしていて感動したシーンがあります。

私は英語もタイ語もできないままバンコクへやってきました。職場にはタイ人とアメリカ人がいて、もちろん日本語は話せません。つたない英語と幼児のタイ語でなんとかコミュニケーションをとったりしていたのですが、ある日、自分がもう1つの言語を使えることに気がつきました。
エンジニアであるアメリカ人とペアプログラミングしていて、「ここはこういうことだからこうしたほうが良いのでは?」と言いたくてそれをなかなか英語で伝えられなかったとき、ええいキーボードをくれ! こういうことだ! とコードを書いてみせたら、すんなりとそれが説明できたのです。相手も「なーんだ!そういうことね!」とすぐに理解してくれて、それから仕事中はコードで会話するようになりました。
そうだ、わたしは日本語とプログラミング言語を話せるバイリンガルだったのだ! これを使えば世界中のエンジニアとコミュニケーションがとれるのだ!と気づいたときのあの爽快感はちょっと筆舌に尽くせません。

 海外で仕事をしていると「自分は何ができるのか?」を問われます。会社の名刺を出しても、日本の出身大学を伝えても、相手はそれを知らないことが多い。自分自身の人間性やスキルを持って自分自身の存在を明らかにしないといけない。それができたときに、自分は価値のある存在であるという実感が得られるのではないでしょうか。そうした”自己効力感”は何物にも代えがたいモチベーションになります。

ちなみにこれは日本の大都市から地方に転勤するとか、大企業を辞めてベンチャーに転職した場合にも似たことが言えます。より規模の小さい環境に身を置くことで自分自身の自分自身の重要性が増し、効力感が得られます。しかし海外、特にアジアがよりそうであるのは、規制やルールが少ないためによりダイナミックに仕事ができること、市場全体がまだまだ伸びているために新しい事業や仕事に取り組みやすいこと、などがあるでしょう。

また、これは国にもよりますが、海外就職の大きなメリットの一つがプライベートの充実であることは触れておくべきことでしょう。

贅沢についての話をしますと、私にとってのそれは島で過ごす週末です。刺激と喧噪のバンコクからローカル感あふれる静かな小島へ、バスと船を使って3時間。1年中いつでも、海を眺めてビールを飲んで「何もしない」をしに行けるというのは、「ああ、この南国の都市で働いていてよかった!」と思える至福のときです

 リゾートに近く、またすべてが安いゆえにダイビングなどの趣味で週末を充実させる人もたくさんいます。また、日本と違うのは東南アジアは残業が無い社会なので、平日も充実します。東京に比べてアジアの大都市は比較的コンパクトで職住近接なので、家族を持っている人にとってもメリットが大きいです。私がいるバンコクではお父さんが幼稚園に子供を送ってから出勤、という光景も普通にあります。個人的には、子育て世帯こそ海外就職を検討するべきではないか、と私自身タイで子育てをしながら実感しています。

 

「雇う側」が変わっていく

結論としては、日本人にとっての海外就職は今後はより魅力的なものになっていくと、私は希望を持っています。それは「雇う側」が変わろうとしているからです。

最初に駐在員との意識ギャップを上げましたが、大企業のほとんどは駐在員を大幅に削減する「経営の現地化」を目指しています。日本企業にとってアジアは、かつての「モノを作るアジア」から、「モノを売るアジア」へと位置づけが変わっています。そうなると現地で開発、マーケティング、営業、を行っていく組織づくりが求められるため、駐在員の裁量権を極力減らしていこうというのが現在の各社の戦略です。

そこにおける現地組織には、現地採用の日本人も含まれます。ローカル社員と、自分の意思で現地に来た日本人が力を合わせて現地組織の経営をする時代が来ています。そこにおいては、上述したような組織内の意識ギャップは徐々に減っていき、現地採用社員にももっと活躍の場が与えられるようになっていくと思います。もちろんその変化には給与などの人事制度の改訂も伴っていきます。

もう一つの「雇う側」の変化は、ベンチャー企業の台頭です。昨今、優秀な起業家がアジアでビジネスを立ち上げています。そうしたスタートアップは、一緒にチャレンジしてくれる優秀な日本人スタッフを求めています。そうした企業には時に大企業にあるような理不尽さは少ないですし、また海外+スタートアップという経験から得られるものは本人のその後のキャリアにとっても大きなプラスとなることは間違いないです。

 

「若者よ、どんどん海外を目指せ!」と軽々しく海外就職を勧める論調には私は必ずしも与しません。人に煽られて出ていくのではなく、しっかりと情報収集し、メリット・デメリットを自分の頭で考えて決断してほしいと思います。しかしながら、大きな流れとしては日本人はもっと世界で活躍してもいいんじゃないかと思っていますし、そのほうが本人のキャリアや人生の充実にとってプラスである、と私は信じています。それを進めるための環境がこれまでなかなか整ってこなかったことは事実としてありますが、企業側が変わろうとすることでその状況を変えていけると思っています。

私自身は、アジアで展開する一つのベンチャーとして、また現地企業の経営を支援する立場として、少しずつできることをやっていこうと思っています。

・・・ということで東南アジアでの就職に興味のある方、ぜひご連絡ください。(笑)

 Asian Identity | Asian Human Resource Consulting Company

メールはこちらまで →nakamuraあっとa-identity.asia

 

 

不思議な「チネイザン」体験 in チェンマイ

さて年末年始はチェンマイで観光、ローカルフード三昧でしたが、一つのハイライトが「チネイザン」の体験でした。

チネイザンとは、内蔵のマッサージです。単なるマッサージではなく気功を取りいれたマッサージです。元々は中国由来のようですが、中国からタイに流れ着き、チェンマイがそのメッカとなったようです。(以下説明はこちらのブログから拝借)

タオイスト達の発見
タオイスト達の長年の瞑想により、内臓は小宇宙(ミクロコスモス)である人間と、大宇宙(マクロコスモス)をつなぐ霊的な力のエッセンスでありカラダをひとつにまとめ維持していく源泉であることが発見された。
そして人の持つ感情はすべてのエネルギーの現れであり、感情と内臓とのあいだにある特定のつながりや関連があるとつきとめたのだ。
タオイストたちは、不快に感じる症状のほとんどが、溜め込んだ毒素や、否定的な感情などのネガティブなエネルギーの影響であるとつきとめ、内臓機能障害を起こし、腹部にしこりを生じさせるネガティブなエネルギーをリサイクルして変容させるというチネイザンという技法を開発したのだ。
これは、毒素、悪感情、過剰な体熱(または体熱の不足)といった内臓の機能障害を引き起こす諸原因を取り除く事ができるという。

チネイザンがなぜタイなのか?
中国人の両親をもつタイ生まれのタオの世界的権威であるマンタクチャが文化大革命のとき歴史から消え去ろうとしていたこの技法をタイ式マッサージ、指圧、霊気、リンパマッサージ、スウェディッシュ・マッサージなど現代医学も取り入れて再生しタイで広めたという理由から。

この文化大革命で葬られかけ・・といったストーリー感がますます興味を掻き立てます。やはり身体だけでなく精神にも影響があるようで、腹部は感情が溜まっている場所でもあるのでそれを吐き出す効果もあるのだとか。中には泣き出してしまう人とか、色々とアイデアが浮かんでくる人とか、そんな体験談もあるそうな。・・まぁどこまで本当かわかりませんが、最近こうしたデトックス系をいろいろとトライしている私としては、(前回腸内洗浄でえらい目にあったけど) ぜひとも体験しておきたい、と行ってきました。

何人かの施術士さんがチェンマイにはいるそうですが今回担当してくれたのは日本人の方。2時間のマッサージ、瞑想付きで2000バーツ。

気と関係するだけあって呼吸がポイントです。マッサージを受けている間は、深い呼吸を繰り返します。その深い呼吸に沿って、施術士さんの手がずぶずぶと腹部に深く突き刺さります。ここは肝臓、ここは脾臓、と場所を指摘されながら、内蔵をマッサージしてもらいます。心臓もマッサージしてもらいました。痛みはなかったですがちょっと緊張する瞬間でした。

基本、とにかく痛いです。痛くて震えが来ますが、あまり痛がってしまうとそこで止められてしまい効き目がないと思い、なるべく我慢しながら2時間耐え抜きました。不思議なもので激痛に見舞われながらも、徐々に意識が無くなっていきます。起きているのか寝ているのかよくわからない時間が流れ、気が付いたら終わっていました。

僕の場合は感情が爆発することは無かったですが、なぜか幼い頃の風景が浮かんできました。地元の海、仲間の顔、が浮かんできました。同じ日に時間差で体験したうちの奥様は「10年くらい前の記憶がよみがえってきた」と言ってました。この辺りのメカニズムは謎、です。

その後、劇的に何かが起きているわけではないですが、体調はとても良いです。あとお通じもとても良いです(元々良いんですが)。まずは2,3回は続けると良いということなので、もう少し不思議体験を求めてやってみようかと。バンコクにも体験できるところがあるようですし、今回チェンマイがかなり良かったので、年に1回くらいやはり本場のチェンマイにいってやってみようかなと思いました。

葛藤にどう向き合うか

2016年が始まりました。今年は会社を始めて3年目になります。
弊社はまだまだ小さな会社ですが、昨年後半から少しずつ人が増えるにつれ、また取引先やパートナーが増えるにつれ、判断に迷う場面が増えてきました。
例えば、

・あるビジネスにGoするべきか?やめるべきか?(事業判断)

・社員の行動を厳しく指導するか?それとも優しく受け入れるか?(人材の管理)

・顧客やパートナー等、取引先との交渉に強く出るか?それとも譲歩するか?(ステークホルダーへの対応)

・・・等々。こうした葛藤(=自信の中で考えが対立すること)が日々発生していたのが私の2015年でした。仕事をしていれば当たり前のことばかりなので、皆さんも日々こうした葛藤に対してなんらかの判断をされているのだと思います。

恐らく会社が成長すればするほどこうした葛藤はその規模感や発生頻度ともに今後も増えていくのだろうなぁ、と思います。世の中の先輩経営者は色々とこうした葛藤を乗り越えて成長してきたのだと想像しますが、自分自身もこれらの葛藤を乗り越えていくことが、自分を成長させる意味で重要だなと思っています。

そこで今日は、葛藤した時に経営者が持つべき考え方を3つほどまとめておきます。

 

1.「自分の価値観」ではなく「会社の理念」を判断基準にする

例えば人材管理の場面。お客様へのメールの返信が遅い社員がいたとします。それに対して、「もっと早く返信しなさい」というだけではまだその社員はその行動を繰り返してしまう可能性があります。それは「なぜそうしなければいけないのか」まだ含めて伝わっていないからです。 

ある行動を社員に求めるためには、管理者からの個人的なフィードバックではなく、なんらかの基準が必要です。企業で言えばその求める行動の基準が「理念」です。社員は会社の理念という”旗印”のもとに集まっている集団であり、その理念を基準としてフィードバックすることには一定の合理性があります。理念に基準にすることで、「私たちが理念に掲げているように、お客様にスピーディーに対応することは、我々が我々であるために最も重要なことの一つです。それを分かってほしい。」と伝えることができます。

もっとも、いきなり理念を振りかざされても「?」となってしまうことも多いと思います。それゆえに、「どういう会社に入るつもりで入社してもらうのか」「どういう働き方を評価するのか」といった、人材の採用、評価の場面でこの理念を常に語っていくことが大事です。そもそも理念が明確でない場合も多いと思いますので、その場合はまずはそれを作ることから始めましょう。

この「理念」の基準は様々な場面で有効です。事業上の意思決定では、「このビジネスは自社が本来やるべきこと(ミッション)なのかどうか」が有効な基準となるでしょう。ステークホルダーへの対応では、「この会社(人)は自社の理念に共感して一緒に歩んでくれる人だろうか?」という考え方が一つの基準となります。

 

2.自分の感情を客観視し、マネージする

感情が高ぶっていては良い判断はできません。不安、恐怖、怒り・・・そうした感情を自分が持っているときは、それをまずは自分の中から追い出すことが必要です。

部下の指導の際には、よく「怒る」と「叱る」は違うと言います。感情に任せて「怒って」しまうと、相手には「ああ、この人は怒っているんだな」ということしか伝わらず、肝心の伝えたい中身が届かないと言われます。また「怒る」という行為は、自分が自分をコントロールできていない時にとる行為です。つまり自分自身に怒っているようなものです。

一方、「叱る」とは相手のためを思ってする行為だと思うのが良いでしょう。相手にどうなってほしいのか、ということを冷静に考えて、その内容が伝わるように話す。そう思えば冷静に話すことができます。

ステークホルダーとの難しい交渉や意思決定の場面でも、感情が揺れては負けです。優秀な経営者には囲碁や麻雀が強い方が多いですが、そうした経営者は常にポーカーフェイスで物事を進めることできます。そうした冷静な態度、周囲に安定感と抜け目のない印象を与え、有利な影響力となるでしょう。

 

3.数年後の目線に立って考える

人間、苦しくなってくると「今をどう乗り切るか」という目線で判断、行動してしまいがちです。しかし、今を乗り切っているだけでは自転車操業に過ぎず、未来の成長に向けた活動ができていないことになります。我々が事業成長に責任を負っている経営者の場合、それでは仕事をしていることになりません。

事業上の判断であれば、それは数年後の成長に寄与するのかどうか、をまず考えるべきでしょう。例えば当座の収益をもたらす一方で、ワンショットで広がりが乏しい仕事を受けるべきか?というのは一つの典型的な葛藤です。今年度の数字を作ることだけが仕事ではない経営者にとっては、本来であればそうした仕事は受けるべきではありません。しかしながら、それによって自社の経験・学びとなる、またブランディング効果がある、等によって将来の成長への糧となるのであれば別、という見方もあります。その案件からどういうメリットが得られるか、を中長期目線で考えるべきです。

人材への指導であれば、「ある社員をどこかで見切るべきか?それとも育てるべきか?」というのは典型的な葛藤です。その際に、その社員は、これから数年間かけて目的地まで一緒に”航海”を続ける乗組員としてふさわしいか?という目線で考えることも必要でしょう。数年にわたって在籍するということは、今後その社員にはプロモーションをさせ、会社の中核としてより重要な役割を担ってもらうことを期待する、というつもりで接する必要があります。自分にとってそのイメージが沸くかどうか、をしっかり考えることも、人材の見極めという意味では大切なことです。

 

以上です。

最後に、こうした葛藤のマネジメントには正解が無い、という視点も重要だと思います。ある種どちらを選んでも選んだ時点では正解・不正解は無いと思います。選んだ選択肢に対してどういう行動を取っていくかで、将来的に正解だったのかどうかが決まります。それゆえに、「自信を持って」意思決定することが重要です。その場の勢いや、感情に流されて判断をすることが最も避けなくてはいけないことだと思います。

中立であること

このところ色んなことがシンクロするので書き留めておきます。「中立であること」について。


先週のシンガポールのワークショップで言われた、ファシリテーターに最も大切なことは「Being Neutral」。徹底的に中立であること。

例えば僕はファシリテーターをしていて、参加者のコメントに対して「Good Idea」とか「I like it」とか言ってしまうのだけど、これはダメなのだとか。良いとか好きとかいうのは、それに対して賛同を示している。ファシリテーターはあくまで中立でなくては行けないので、「Thank you for sharing you idea.」くらいに留めなくては行けない。良かれと思ってついつい相手にGoodとか言ってしまう性格の僕としては、これはなかなか難しいな、と思った。

そして今日は、ベルギーファシリテーターとのミーティング。彼はファシリテーターの育成もしているので、「良いファシリテーターの条件は?」と尋ねてみた。彼は言う。「僕が今まででどうしてもファシリテーターになることをOKできなかった人が一人だけいる。彼はコンサルタントだった。彼は相手に答えを出すことを捨てられなかったからだ。人は答えをもらうと、それを実現させることにコミットできない。ファシリテーターはあくまで相手に答えを見つけさせることにこだわらないといけない」と教えてくれた。ふむ、やっぱり同じこと言うなぁ、と。


確かにこの「中立であること」は僕はどうも苦手だったりします。言い換えると、ポジションを取らないとすっきりしない。以前コンサルタントの先輩から教えてもらった考え方で、「コンサルタントは相手を崖から突き落とすのが仕事だ」という考え方があります。つまり「崖からジャンプすることのメリット」が説明できたとしても、ふつう人は怖くて飛び降りられない。最後に背中を押してあげるところまでできないと相手の意思決定の役に立ったと言えない、という考え方。これは割と印象に残ったので、その後も心に留めています。

今のメンバーには、「It Depends(時と場合による)で終わらないでね」とよく言います。また、Pros and Cons(プラス要因とマイナス要因)を整理するだけでは意味がないよ、とも。整理して論理的に答えを導くことは誰でもできる。すべての意思決定事項は多くの場合はプロコンがあり、それでもどっちがいいのか、という「ポジション」をとらないとお客さんの役に立たないという考え方を基本的には持っています。なので、論理的に整理をした前提で、「自分の意見」「私の好き嫌い」でいいから述べなさい、と言っています。

「赤」と「青」の選択肢があるとしたら、「赤と青のそれぞれのメリットデメリットはこうです」では十分ではない。「あなたへのおすすめは赤です」とか「私だったら青を取ります」とまで言ってはじめてお客様が信頼してくれるし、いい仕事ができるんじゃないか、と思っています。(リクルートでいう(らしい)、「で、お前はどうしたいの?」というやつかもしれません。)


・・・良く考えると、この「中立性への葛藤」はかれこれ20年くらい前から続いています。

指揮を習っていた時に、当時の先生が「オーケストラの指揮というのは黒子だから、究極的には"あれ?指揮者っていたんだっけ"と思われるのが理想だ」と言われて、僕はとても納得がいかなかった記憶があります。もちろんそういう捉え方もできるのは理解できますが、色んな指揮者を見ていると思いっきり自己表現している人もいるように見えるし、音楽に解釈という名の色を付けて観客に届けている指揮者が、どうしても黒子だとは僕は思えなかった、ということをふと思い出します。

中立であることと、ポジションを取ること。この問いが形を変えながら相変わらず僕を襲ってくるのが悩ましく、また面白くもあります。30代にもなってこんな青臭い問いで悩める自分は幸せなのかも、と思ったりもしますが。

なぜ日本の子供は一人で学校に行けるのか

この記事が面白かったので、一部抜粋の翻訳と感想を書いておきます。


「なぜ日本の子供は一人で学校に行けるのか」
Why Japanese Kids Can Walk to School Alone


東京のような大都市であっても、幼い子供が電車に乗ったり一人でおつかいに行くことができる。

この際立った独立心はなぜ生まれるのか。文化人類学者のDwayne Dixonによるとそれは「集団への信頼性」(Group Reliance)によるものだ。日本の子供は早くからそれを学び、すべてのコミュニティの構成員がそれを助ける存在として貢献することが期待されている。

こうした規範は、例えば学校で教えられる。順番に掃除の担当になったり給食当番になることを経験し、専門のスタッフに頼ることは無い。例えばトイレ掃除なども行うことを通じて、色々な労働を分け合うことを経験する。

公共空間に責任を持つ、ということを通じて当事者意識を身に着ける。また、掃除を自分たちでしなくてはいけないため、その場を汚した結果がどうなるか、ということを具体的に学ぶことができる。

日本は犯罪率が非常に低い。それゆえ両親は自信をもって子供を一人で出かけさせることができる。

また日本人はどこでも歩くのが当たり前であり、それも安全性に貢献している。車よりも公共交通機関の便利さのほうが上回る。すべての移動の半分は電車かバスで、4分の1は徒歩だ。

子供たちにこのように自立させることを通じて、親は子供と、そして社会全体への深い信頼感を抱くのである。世界の多くの子供たちが"自分のことは自分でやる"子たちではあるが、この日本の状況は西洋からみると非常に興味深く、それはそこに信頼感、そして協力姿勢を見るからである。

ここまでが抜粋、ここからは感想です。

今、日本とタイの文化を比較するワークショップを作っているのですが、色々調べていると地理的要因、宗教的要因に加えてやはり「初等教育」というものの影響の大きさを感じます。
この記事にあるように、日本人からすれば当たり前の掃除や給食当番といった体験を通じて我々は集団に対して責任を持つこと、また労働を分け合うということを身をもって学んでいるわけです。こうしたことは日本以外の国からすればとても驚くべきことだ、ということをこの記事は教えてくれます。

確かに私もタイに住むようになって「子供が一人で出かけられない世界」が(少なくとも東南アジアでは)むしろ普通であることを知りました。それに対して先日一時帰国した際に息子が通った日本の小学校では、小学一年生が友達同士で勝手に遊びに出かける、という行動を皆がとっているのを知って驚きました。この記事が指摘するような「コミュニティへの信頼感」というものがまさに違いとしてあり、それによって自立心や協力姿勢の育まれ方が異なるのだな、ということが実際に海外と日本を行き来するとよくわかります。(正直その点においては日本で子育てしたいな、と思いました)

こうした違いは仕事の仕方にも影響を与えているでしょう。グローバルなビジネスでも日本人はよく「ボールを拾う」人が多く、それゆえチームに貢献できる人が多いです。一方で外国人が「ボールを拾って」くれないことにしばしば日本人は不満を持ちますが、こうしたコンテキストを共有していないのですから、それを最初から期待するほうが間違っているといえます。

我々がマネジメントをしていく上でまず大事なのはこうしたお互いのビヘイビアの裏側にあるコンテキストを理解すること。そしてその上で、組織の構成員として期待したいvalueを定義し暗黙ではなく明文化する。それに対しては人種や文化を超えて従う、といった組織運営を行っていくことが、グローバル時代の組織運営では大事だと思います。

色々と気付きの多い記事でした。