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人を信じるとはどういうことか

会社を始めて少ししたころ、3年くらい前の話です。

あるワークショップをやっていて、とても苦戦する展開になりました。内容は「日本人に、タイ人のマネジメントの仕方を教える」というものでした。基本的には僕のスタンスは、「郷に入っては郷に従え。ここはタイなんだからタイのやり方に合わせるくらいでないとダメ」「リーダーたるもの、自らの姿勢を改める姿勢で部下と向き合うべき」という考え方で仕事をしているので、そういうトーン、メッセージでやっていました。

ところが、とても難しい参加者がいました。「自分はもう5年近くタイでやってきて、もうタイ人には何を言っても無駄だと思った。タイ人を信じるといっても、こちらは緊急のプロジェクトをいくつも抱えている。たくさん痛い想いもしてきた。綺麗ごとで仕事は回らない。」と。完全に心を閉ざしてしまっています。

こういう方は時々います。それぞれ、苦労に裏打ちされた持論がありますので、それ自体は否定するものではありません。しかしながら、その態度では部下との溝は開いていくばかりです。得てしてそうした方が職場のボトルネックになってしまっているので、僕の仕事は少しでもそうした状況に変化をもたらすことです。

しかし、当時の僕は今よりもさらに経験が浅く、この状況への対応にとても困りました。面と向かって「あなたの考えは受け入れられない」と言われているのに等しい展開です。結局、恐らくは彼に十分な気付きを提供できないまま、そのワークショップは終わりました。僕はプロとして求められていた価値貢献ができたのか、すごく落ち込み、悩みました。

そのころから自分にはメンターとも呼ぶべき先生がいました。御年68歳、研修講師歴30年以上のベテラン先生です。僕を直接知っている方はよく話題に出すのでご存知だと思いますが、僕はその方から刺激を受け、時々お会いして教えを乞うようにしていたのです。

僕は彼に相談しました。自分の力不足で彼に気付きを与えられなかったと。ただ彼は心を閉ざしていてどうしていいかわからなかったと。

その先生はこんなことを言いました。

「・・・彼はどんな思いでそれを君に吐露したんだろうねぇ?」

彼は続けます。

「たぶんその人はそうとうつらい思いをしてきたんだろうね。恐らくそんな話を普段人にはしないだろう。それを、研修という場で、みんなの前でその思いをぶちまけたんだ。すごい勇気じゃないか。君はその気持ちを想像することができたか?」

「僕なら、その彼に深い感謝を込めて、”思いを伝えて頂いて、ありがとうございます”。と言うよ。彼は勇気をもってその話をしてくれたんだ。それで十分じゃないか。」

「人に対して心をオープンに出来ない人。人との関係性がうまく行っていない人。そういう人は、自分で自分のことをうまくマネージできていないんだよ。自分で自分の事を持て余してしまっている。そういう人がそういう発言をするんだ。彼は孤独なんだよ。我々に出来ることは、そんな彼の悩みを、一生懸命、理解してあげる事なんじゃないだろうか。」

・・・と、そんな話が続きました。

その先生は一事が万事、そんな調子です。何も答えを教えてはくれないのですが、答えを求めていた自分には気づかせてくれます。

こうした経験から、ここ数年、「相手を受け入れる」ことこそリーダーの姿勢だと肝に銘じてやってきました。心を閉ざしている人に対しては、その人が抱えている問題に耳を傾け、寄り添うように努めてきました。人を信じるとは、今の僕の定義ではそういう事です。

これは口で言うほど簡単なことではありません。自分の中の執着やこだわりを手放し、深い愛を備えていないとそうした態度はとることができません。今それが出来ているかというと、正直まだまだ、と思います。でも一人のリーダーとして、人の役に立つ仕事をしているものとして、その境地を目指していきたいといつも思います。

その先生には年に1回タイに来ていただき、研修をして頂いています。明日から3日間そのプログラムが始まります。毎年、年末に行うのですが、一年間で自分がどの程度成長したのか、自らを振り返る良い機会になっています。せっかくなので文章にしてみました。駄文乱文、失礼しました。