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次の世代のことが思える人間に

若いころは思いもしませんでしたが、人生というのはある意味で恐怖との戦いでもあるなと思います。

人間、少しずつ人生の年輪を重ねるにつれ、少しずつ「終わり」というものを意識するようになります。30代の自分が何言ってんねんと諸先輩方から怒られそうですが、少しずつ体力が落ちてきたり、子供も幼児から児童に成長していくのを感じる上で、なるほど人生とはこうやって進んでいくのね、ということを実感し、少し寂しく思うこともあります。そして年齢というのは残酷なもので、重ねれば重ねるほどその人の人間性が明らかになってしまう部分があるなと思っています。

先日まもなく70歳を迎えようかという経営者に、ご自身がそろそろ引退を考えている、というお話を聞かせていただきました。その方は決して卑屈になるでもなく、職業人としての人生にいったん線を引き、残った人生に向き合っていくことを冷静に捉えられていました。恐らくこれまで全力を尽くしてこられたからこその態度だと思いました。昨今は人生100年といいますから、まだまだ30年くらいその方の人生は続くかもしれませんが、それでも仕事を引退するというのはどれほどの覚悟が必要なのでしょうか。自分がいつか迎えるであろうその瞬間に、未練、後悔、悔しさ、嫉妬、といった負の感情が浮かんでこないものだろうか。それだけの人間性を備えて年を重ねられるだろうか、と我が身を振り返った次第です。

一方で、60歳くらいになっても残念な方はいます。本来、それぐらいの年であれば後進を盛り立てる側に回るべきでしょう。よく政治の世界で、「日本のリーダーは60代だが、海外のリーダーは40代であり、20歳の開きがある」と言われますが、やはり政治でもビジネスでも、リーダーとしてひのき舞台に上るのは40代くらいが良いような気がします。しかし、中には60代になっても名誉欲や金銭欲を強く持ちすぎている方もおり、それ自体はその人の生き方なので否定はしませんが、その下の人物がリーダーとして育つかというと難しいと思いますし、またそうした方は下の世代からはあまり尊敬されていない傾向にあるように思います。

自分が50歳、60歳になったときに、どんなメンタリティを持っていられるか。それは30代、40代の生き方にやはりかかっているような気がします。今のうちにできうるチャレンジを思いっきりし尽して、成功も失敗も沢山経験した時に、自分はもういいから後の人にバトンを渡そう、と思えるような気がしています。人生の時計の針が進んでいくことを過度に恐れるでもなく、冷静に向き合っていける人間になりたいと思います。