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リーダーシップとはコミットであり、狂気である。

最近思う事ですが、成長企業や成功しているプロジェクトを見ていると、そのリーダーに共通していることは「狂気」ともいえるコミットをしている、ということです。

ある会社の社長は、「面談を通じてタイ人部下とのコミュニケーションを増やす」というプロジェクトの中で、「とにかく上司は部下とコミュニケーションするのが最重要。」と繰り返し言い続け、「忙しくてできないんだったら、通常業務を減らしても良いから、やりなさい。それくらい重要だ」と言い続けていました。もちろん自分自身は忙しいさなかでも部下とのコミュニケーションの時間を捻出しています。

また別の、企業理念の策定・共有プロジェクトで、プロジェクト責任者のリーダーは「企業理念は会社経営にとって一番重要です」と、集まりがあるたびに何度も、何度も、何度も同じことを言い続けていました。またそこに対しては時間投資、人材投資を惜しみません。

また別の会社では、社員の思考規範をタイ人に落とし込むことに執念を燃やしています。社長が全部署を回って、同じことを何度も説明し、考え方を共有することをずーっとやっています。

こうしたリーダーからは「徹底」「執念」「やり切る」という言葉が出てきます。そして例外なく、自分自身に厳しく、そして学習意欲が高い。周囲からは時に怖い人に映りますが、実際にはとても愛情のある人が多い。コミットしたことを絶対にやりきる姿勢が、厳しい印象を周囲に与えているのと思います。

むかしユニクロの柳井さんを評して、側近の方が「あの人はパラノイアだ」と言っていたのを覚えています。狂気、偏執、といった意味で使っていたと思います。コトを成し遂げる人は、周囲からは頭がおかしい、と思われるくらいのコミットをしているのだと思います。

リーダーは結果にコミットするべきで、決して日和ってはいけない。僕は日和りがちの弱い人間なので、こうした普段接する厳しさを備えたリーダーから学ばせてもらっています。

インターの先生とのやりとり

金曜日に息子の学校(3年生)の面談に行ってきましたが、ちょっとやりとりが面白かった。

うちのインターでは基本小学校から科目ごとに先生が違うので、各クラスの様子は各クラスの先生に聞かねばならず、専用アプリで各先生からいつも連絡が来る形式。どういう宿題を出したとか、クラスの様子の写真とか、そういう情報は親は定期的に知ることが出来る。

それで今回、Math(算数)の先生から、「お宅の子供はMathが良く出来るので、今のレベルではなく一個レベルを上げたクラスにした方が良い」という提案が来たのがきっかけ。「じゃあそれでお願いします」というと、学校内で異論が出たらしく、校長、数学の学年主任、数学のクラス担当、も出てきて一緒に面談するという大げさな展開に発展。

で当日。現れたおばちゃん校長が「入試のテストもそれほど良くなかったし、まだクラスアップと判断するのは早い。1ターム待って下さい」とまくしたてると、部下の担任は反論。「1タームは長すぎます。私は普段クラスを見てますが、彼には今のクラスは易しすぎます。」と、上司部下の間で意見の相違が明らかな様子。。。
結局、上司の校長パワーが圧倒的に強く、クラスアップのOKは得られず。担任の先生は悲しそうな表情。校長が部屋を去った後で、「本当にごめんなさい・・・。でも今後も彼の様子はしっかり見て、頑張って教えますから!」と彼女は私たちに詫びる。その様子に「あなたのような先生が教科担当で、うちの子は幸せですよ」と労いつつ、しっかり見てくれてる頼もしさを感じたのでした。

これは今年から通ってるシンガポール系の学校で起きた出来事なのですが、去年までのアメリカ式とはずいぶんいろいろ違うなぁという印象。
シンガポール式はやはりペーパーテスト第一主義で、組織についてもかなりヒエラルキーがしっかりしてる。対してアメリカ式はテストは少なく、校風もかなり自由。もちろん学校にもよると思いますが、違いが明らかで面白いなーと思います。

マンガ Su Su Pim! へのコメントを頂きました

 
先日ローンチしたタイ語マンガSu Su Pim! ですが、タイの書評サイトに素敵なコメントを頂きました。日本語訳を紹介しておきます。
こうやってタイの方に読まれていくのは本当に感慨深いです~☆

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SusuPim、読了しました。

上司として、また事業主として、ピムのような人はよく見かけるという印象を受けました。一生懸命仕事をしてくれるけれど、時々詰めが甘い部下。この本からは実際にともに働く周囲の人の姿を、あるいは自分自身を見つけることができるかもしれません。私たちは時と場合によって様々なキャラクターになります。でも、みなが同じく目指しているものがあります。それは協力しあって、ビジネスを継続させていくということです。きちんと自分自身を振り返って、用心深く、注意深く、そして仲間たちへの愛を持って仕事をすれば、大きな失敗や悲惨な状況を招くことはありません。

私自身は原作者、漫画家、翻訳者といった方々が協力してタイ人読者の為になるような作品を創り上げてくれたことに感銘を受けました。原作者であるJackさんは、タイの人々に自己開発の考え方を漫画という理解しやすいやすい形で伝えるために、2年間もの時間をかけて想いを形にできる漫画家ときちんと伝わる形に翻訳できる翻訳家の方を探されたとのことです。思い通りのものを作るために何度も議論を重ねたくさんのステップを経てこの本を生み出された、このタイ人への想いに触れて私も応援したいと思いました。

SusuPimは一般の書店で販売していますが、今は紀伊国屋では20パーセント割引になっています。また他にもReaderyでオンライン注文することもできます。
SusuPimはタイのエッセンスが少し入った日本の漫画です。学生、そして仕事をしている全ての人にオススメです。新人であっても、部下の面倒を見る立場の人であっても、また自分のビジネスを持っている人であっても、他の人へ理解を示し思いやりを持って仕事をすることは全ての基本ですから。

この本の第1章をご覧になりたい方はAsian Idenitityのfbページから読むことができます。そして購入したいと思われたら、あるいはコメントをしたいと思われたらそのままAsian Identityのfbアカウントにメッセージを送ることも可能です。
ぜひこの本を楽しんで、素敵な社会人生活を送ってください。

良いキャリアを作るために持つべき4つの考え

今週末、Kinokuniyaでタイの皆さん向けにイベントをやります。

タイ人向けに出版したマンガ単行本のPRイベントではあるのですが、そこにはこんな思いを込めています。

それは「良いキャリアとは何か?」という事について。4つほどの考え方を紹介したい。

①「仕事そのもの」を目的にすること

本当の人生の満足感は、地位や名声、またおカネではもたらされない。人は本当に自分にとって「意味のある仕事」をすることで本当に幸福になれる。

「ikigai」という概念も流行っているが、本当に自分が愛せることは何か、本当に自分がパッションを感じられることは何か、を見つけることだ。お金や名声が大切ではないとは言わないが、それらを得ても人は結局満足しないことは、多くの学者や偉人によって証明されている。

②自己の成長を重視すること

やりたい仕事をやるためには、能力が高まらないといけない。その為には、特に若いうちは自己の成長を意識することだ。多くの機会を求め、挑戦を繰り返し、そこから学ぶことだ。コンフォートゾーンを出て、「苦しい」と感じる経験こそ意味がある。

金の卵と、それを生むガチョウのたとえ話がある。若いうちは卵を欲するのではなく、いずれ卵を産んでくれるガチョウを育てることだ。すなわち、それは自分の能力だ。20代、30代のうちに能力を高めておくと、それが市場価値となって後にお金を生むようになる。若いうちは焦らず、能力を高めるべきだ。

ちなみにその能力とは、必ずしも学位や資格といったものだけではない。本当に価値があるのは実務経験で、それはおカネを払っても手に入らない。一定の期間、真に努力した人だけがその経験を手にすることが出来る。

③人のせいにしないこと

ではどういう人が成長するのか。それは自責、つまり「人のせいにしない」人だ。周囲や組織の文句を言っている人は、いつまでたっても成長しない。

何故かと言うと、仕事は周囲との信頼関係で成り立っているからだ。周囲に不満を言っている人は、「一緒に働きたくない人」という風に思われて、人が離れて行ってしまう。その結果、重要な仕事も回ってこないし、チームワークがうまく行かないので良い仕事もできず、成長しない。それでも、自分が成長しないのは周囲に問題があるせいだと思っている。

自責で考える人は、自分の問題は自分で解決するしかないと思っている。仮に組織に問題があっても、それを解決するためには自分がどう動けばよいか?を考える。そういう人こそ、会社はリーダーに抜擢したいと考える。

④言葉だけではなく行動すること

では自責で考える人はどういう人か。それは「行動する」人だ。本当に成長する人というのは、だまって黙々と仕事をしている。

その人を判断したければ「言っていることよりもやっていることを見ろ」という言葉がある。言葉の多い人ほど行動が伴わないことが多い。一方で、ちゃんと行動していれば、それは必ず誰かが見ていて、引き揚げてくれる。そして多くのチャンスを手にする。


社会は「信用」で成り立っている。ある会社での信用を失ってしまうと、その評判は一生付きまとう。インターネットの時代になりそれは一層顕著になってしまった。だからこそ、目の前の人との関係性を大切にしないといけない。

若いうちから信用を積み重ね、そして能力を磨いていくことこそ、長期的に良いキャリアをもたらすと信じている。これは別に日本的なものなわけではなく、世界中のリーダーが同じことを言っている。

「最近の日本ってどう見える?」とフィードバックをもらってみた

先日ヤンゴンシンガポール人とタイ人と飲みながらいろいろ話す中で、「君たちの目からは最近の日本ってどう見えてるの?」と聞いてみた。ちなみに二人とも独立してコンサルタントやファシリテータ―とかをやっているので、恐らくまぁまぁ富裕層。以下がその答え。


「自信を無くしているようにも見えるけど、日本製のものの品質を疑う人は誰もいないよ。そこへの信頼は圧倒的に高いし、みんな日本製のものを買いたいと思っているよ。ただ、日本製が100ドルで、中国製が50ドルだったら、中国製でも良いかな、と思う人は確かにいるのは事実だけど」

(私)「過剰品質、自己満足なんじゃないの?って捉えている日本人もいるみたいなんだけど」

「でも、日本人ほど人を感動させるクオリティを出せる人たちはいないよ。以前日本のホテルに泊まっていたら、エレベーターに乗る人を見送っていて、ドアが閉まるまで礼をしていた。ああいう光景は本当に素晴らしいと思う」

「そうそう、日本には何度でも行きたくなる。もう数えきれないほど行っている。サービスのすべてが素晴らしいよね。そしてみんな親切。今こうして食事をしていても、周りに気を配っているでしょ?そういうことを自然にできるような教育を受けているのは凄い」

「でも皆日本が好きだから、ここ数年は行く先々で観光客ばかりになっていて、若干居心地が悪くなっている。こないだ行った北海道も、中国人しかいなかった。」

という事でした。観光地としての日本の人気は高く、また日本人の精神性もポジティブに捉えてもらえているようでした。過度に自虐的になることなく、正しく自分自身を見つめられるようになりたいものです。

社長は社員に好かれるべきなのか?

答えは「Yes」でもあり「No」でもある。経営者というのは投資家の期待に応えるため、ビジョン実現のために仕事をするべきだ。そういう意味では社員に好かれるのはプロセスに過ぎない。

自分がこれまで見てきた経営者というのはほぼ例外なく社員から文句を言われていた。やれビジョンが無い、考えが古い、コロコロ方針を変える、現場のことが分かっておらず柔軟性が無い、社長は稼ぎが良くてズルい、さんざんな言われようだ。自分も従業員の時は一緒になって社長の文句を言っていたこともあった。経営者というのは例外なく社員から嫌われるものなのかもしれない。

しかし小さいながら組織を持つ立場になって思うのは、社員から経営者というのはどう頑張っても文句に繋がりやすい構造にあるという事だ。

ビジョンが無いのではなく、社員に伝わっていないだけ。伝えているつもりでも伝わってない。そしてせっかく伝わってもすぐ忘れてしまう。考えが古いのではなく、自分の信念に固執しているだけだ。コロコロ方針を変えるのは、環境変化に対応する柔軟な経営をしたいだけだ。現場の事なんて全部把握するより、もっと重要なやるべきことがトップには沢山ある。お金があるなら、自分のポケットに入れるより会社に使いたい。それでも少ない稼ぎで無理して社員におごっていたりする。社長の気持ちなんて社員にはなかなかわからないのだ。

それでもなお、社長が社員に嫌われ過ぎると、社員が辞めてしまって会社の業績が落ちていく。しかるに、社長には社員に好かれ、そしてモチベーションを上げる義務がある。かつて一倉定氏が「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも全部社長のせいだ」といったが、慧眼だと思う。全部を自分で受け止めて、それでも泰然としていられるくらいの器が無ければ、社長なんてやらないほうが良いと思う。

スタッフのパフォーマンスが上がらないのは誰のせいなのか

経営者の仲間と話すと、必ず悩み相談になります。それも大抵は人の話です。事業戦略は自分が頑張れば描けますが、実行段階になると人・組織がついてこないとうまく行きません。しかるに、人の問題で悩んでいない経営者はいないのではないでしょうか。

ある友人経営者はどれだけ人を採用してもうまく行かず、何度もリストラをしてきました。「この人材はきっと活躍するだろう」と思っても、入社してみると期待ほど働かない。経営者としては思い通り働かない苛立ちと、自分が見る目を誤った失望感にさいなまれて、ストレスが溜まります。そしてその苛立ちは当該社員に伝わりますので、ますます当該社員のパフォーマンスは上がらなくなり、悪循環に陥ります。

この状況は一体誰のせいなのでしょうか。

もし応募者が面接で自分を良く見せようと自分を偽り、その結果ポジションを得たもののパフォーマンスが上がらないのでしたら、応募者にも非があります。一方でそれを採用してしまったという点、そしてその後のその人のパフォーマンスを引き出せてないという意味では会社にも非はあるでしょう。

一つ言えるのは、会社が社員の文句を言っていても何も解決されない、という事です。それどころか、社員への不信は伝わっていきますから、よけい事態は悪化してしまいます。人間は、「期待」をエネルギーにして働く生きものです。周囲から信頼されていることこそが頑張る最大のモチベーションです。そこを抜かしてしまって、その社員の改善を期待するというのは、ゴールに対してアプローチが真逆という事になります。

ちろん、期待以下のパフォーマンスの社員を甘やかしてよいとは言っていません。適切な目標と業務のクオリティ基準を定めてそれに足らないようであれば厳しくフィードバックをします。大事な前提としては、「育てる」つもりで、「できるようになると信じて」接しないといけません。(こいつはダメだ)と腹の中で思いながらフィードバックをしてしまっては、本人の成長にはつながらないのです。

日本もアジアも採用難の時代です。100%要望にマッチする人材はいません。ある程度の基準を満たす(または目をかければ満たしそううな)のであれば御の字とすべきかもしれません。会社に害悪を与えている人材は例外ですが、それ以外は「今いる人材をどう生かすか」という視点で組織を見つめなおしてみても良いかもしれません。