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起業3年目の終わりに思うこと~2016年の振り返り

起業3年目の2016年をまもなく終えようとしていますが、今年一年のビジネス面を軽く振り返っておきます。

2016年度の前半はひたすらミャンマーに通いました。その前の年から数えたら10回以上は通ったと思います。某ビール会社さんのM&Aに伴う企業理念の策定というお仕事でしたが、非常に刺激に満ちたお仕事でした。ミャンマーヤンゴンマンダレー)という土地でプロジェクトを実施するのも初めて、ビルマ語でワークショップを行うのも初めて、と初物尽くしでした。半年くらいの活動の末、何とか役目を終えられたことは、チームにとって大きな自信になりました。また、自分自身にとっては、ホームマーケットのバンコクから、「アウェー」に出ることの大切さを改めて感じさせてくれる経験でした。ホームで勝てるのは当たり前。アウェーで戦えてこそ強いチームだと実感し、もっとアウェーで戦う決意をしました。その後ジャカルタホーチミン、と視野を広げる活動をしましたが、この活動は2017年にも繋がるものとなりそうです。

その後、弊社も何人かの人材の退職を経験しました。人事・組織を扱っている会社に人の退職があってはいけないとは全く思いません。真剣にマネジメントをしている以上は、新陳代謝という意味での退職は必要です。しかしながら、人の退職というのは組織にダメージをもたらします。多くのクライアントが味わっている葛藤を、僕も一人のリーダーとして同じように学べたことは貴重な財産でした。ただし「良薬は口に苦し」。改めて、タイでの採用およびマネジメントの難しさについて、自分の知見を深める機会となりました。そうした経験をまた日々のプロジェクトに還元しよう、と努力し続けた一年でした。

そんなこともあり、夏以降は積極的に自己成長を意識しました。よく「リーダーの成長は組織の成長」と言います。リーダーが学ぶのを辞めてしまうと、優秀な部下はついて来てくれません。リーダーがどこまでも成長し続けていると、部下はそこに置いて行かれまいと努力してくれます。弊社はまだ若い会社だからこそ、自分自身がもっと学ばなくてどうする、と積極的に様々な場に顔を出して学ぶようにしました。Learn & Shareと宣言して、シンガポール、東京、福岡、等に出かけてセミナー等で学んだことをもとに社内で勉強会を行い、メンバーに積極的に還元していきました。

そうした場での様々な出会いから、今年の後半は多くのパートナーシップ案件を手掛けました。当然ながら、自分よりも遥かに経験も知見も多い方は業界にたくさんいます。そういう方々の力をお借りすることの意義深さを学びました。具体的には一緒にセミナーを仕掛けたり、コンテンツを共同開発する、といったことを通じて、これまで出来なかった品質のサービスがよりスピーディーにできるようになりました。そうした先人の知見をお借りしつつ、自分はアジアにいる事を生かして事業機会を作ってお返しする。そうすることで「共に勝つ」ことができる。これがパートナーシップなんだと学びました。また、そうした人間関係を丁寧に紡ぐこと、協業スキームをデザインし、営業し案件を作り出すことが、もしかしたら自分の強みなんじゃないか、ということも認識しました。

サービス開発では、生みの苦しみも経験しました。ほぼ2年近くかけて開発してきたタイ語での学習教材が、ようやくリリースできそうなところまで来ましたが、本当はこれはもっと早くローンチしていなければいけないものでした。しかしながら、こうした開発案件というのは関係者も多く、また想定外のことも起こるので、なかなか前に進みません。忙しさにかまけて数か月放置、ということも起きました。それでも、最後に大事なのは「執念」だと学びました。一度始めたことは、石にかじりついてでもやり遂げる、という意志を持って、諦めずにプロジェクトを動かしていくことの大切さを実感しました。

また、仕事柄とても重要な「発信活動」も細々と続けてきました。今年の一つのテーマは「日本語以外での発信」でした。日本語で書いた文章をタイ語に翻訳頂いたり、また、自分で英語で文章を書き続けることもコミットして、少しずつですが書いてきました。英語の文章は日本語に比べれば質もスピードも落ちるので不安があったのですが、ある印象的な出会いによってそれが前に進むことになりました。ある方に、英語での家庭教師&コーチングのようなことをして頂いて、自分の思想を英語で発信していくための壁打ち相手になって頂いています。こうしたことは今の僕にまさに必要なことで、幸運な出会いに感謝しています。

そして、一年を通じて常に自分を助けてくれたのはやはりメンバーでした。メンバーの成長が素晴らしく、自分が思っている以上のパフォーマンスを上げてくれるシーンが増えました。自分はなるべく何も言わないようにしよう、自分の関与を極力減らそう、と意識し続けました。メンバーの自分らしさ(アイデンティティ)を引き出し、モチベーションを高めていくことが、どの国であってもチームのパフォーマンスを最大化する方法なんだ、ということにさらに強い確信を覚えることができました。

・・・そんな感じで、葛藤しながらも攻め続けた一年が終わりました。来年も歩みを止めずに行こうと思いますが、同時にもう少しゆったりとした心構えも大事にしていこうと思っています。合理的にスピーディーに判断したい、と考えるのが自分のクセなのですが、時にそうした姿勢が周りとの関係を損ねていないか?を実は懸念しながら走ってきました。ほとんどの人からは、お会いすると「忙しそうですね」と声掛けいただきます。でも、それよりも「楽しそうですね」と言われるような人になりたいな、と思っています。

先日、友人と集まって2017年のテーマを共有していた時に、僕はなんとなく「人の輪」という言葉を選びました。沢山の人とリラックスした関係を作っていきながら、同時に結果も伴っているようなバランスの取れた一年にしたい、とそんな気持ちで今はいます。欲張りかもしれませんが、そんなつもりでやっていきますので、どうか来年もよろしくお願いいたします。

一番近くにいる人を大切にできるか?

拡大期の経営者に起こりがちなこととして、自戒を思い切り込めて、最近感じること。

会社が大きくなってくるとやること・考えることが増えるので、足元まで意識が及ばないということがよく起きるような気がします。良くあるパターンとしては、

1.社内に割く時間よりも社外に割く時間が増える (社内ミーティングを簡単にスキップしたり・・)

→リーダーが社内の予定を軽視すると、今度はメンバーがそれをやり始め、組織の文化が緩んでいく。

2.人の見切りが速くなる(こいつは使える、こいつは使えない、的な判断をすぐしてしまう)

→上司が信じてあげないと部下は育たない。取った責任も・育てる責任も、自分にある。部下の批判をするのは簡単だけど何も生まない。

3.メンバーが「できている」ことよりも「できてない」ことの方が気になり始める (あれ?なんでまだこんなこともできないんだ?とイライラし始める)

→自分の理想の状態の進化や自分の変化にメンバーがついていっていない。自分の進化とメンバーの進化のスピードは異なる、と冷静に見つめることも大切。

これらのことは全て、メンバーに何かの変化が起きているからではなく、「自分」が変化しているからだと思います。

リーダー自身の変化で組織を引っ張っていくのはリーダーシップの基本でそれ自体は良いことです。が、それによって生じる周りとのギャップを冷静にとらえないと、部下への不満、イライラ、が募る経営者になってしまいますので、気を付けたいです。


どこまで行っても、マネジメントの基本は自分の最も近い人を幸せにすることにあると思います。近くの人を幸せにできない人に遠くの人を幸せには出来ません。

パートナーシップについて

パートナーシップ(Partnership)」について。会社を始めて以来、国内外たくさんのパートナーさんと一緒に仕事をしています。なるべくユニークな会社であろうと心がけているので、弊社を見つけて頂き、興味を持っていただけることが増えているのはとても嬉しい限り。様々な知見を持った方々との仕事は、なによりメンバーの学びになるので、非常に価値があります。

パートナー関係は時にデリケートな話も含まざるを得ず、どっちが得してどっちかが損するとか、取り分はどうするとか、そういう話を避けて通れません。でもそうしたことを乗り越えて、お互いが得する関係を作れることは実に楽しく、素晴らしいことです。こうした「一緒に勝つ」というビジョンを描き、またスキームを作れることはリーダーにとってますます大事な能力だと実感します。

弊社と(または私と)一緒に仕事してよかった、また仕事したい、と思ってもらえるようなパートナーシップ関係を様々な方と構築できるような専門性、包容力、アイデア、実行力、を備えたチームにしていきたいと改めて心に誓う、そんな3日間の東京滞在でした。
さてこのところずっと休みナシだったので、ちょっとだけ東京で充電して本日の夕方の便でタイに戻ります。今日は趣味の「本屋入り浸り」で過ごします(^^)

距離に騙されない

こないだのフォーラムでも話したのですが、海外での仕事の難しさの一つは、関係者との「距離」。人間は、物理的距離が離れるだけで気持ちも離れていくものだと思います。
何も悪いことしてないのに「海外拠点のやつら何やってんだ」と思われ、逆に「本社の連中はわかってない」みたいな感情がわいてくる。顔を合わせてみると簡単に氷解するようなことが、顔を見ないということだけでこじれてしまう。

こうした心理的メカニズムが働くのは恐らく人間が動物である以上は仕方がないのかな、と思いつつも、我々は理性ある人間なのだから、それに意識的に抗うべきなんじゃないの?といつも思います。

つまり、「距離が離れてるからってケンカしないで、意図的に距離を縮める努力や捉え直しをしよう」ということです。Skypeしていて「あ、なんか今ムッとした雰囲気になったけど、これって単純に距離のせいかもな」と、すこしボーナス加点?して上げるくらいがちょうど良い。

これって遠距離恋愛と同じだと思います。会えないからこそお互いの地道な努力が大事。あ、単身赴任もそうかも。
僕の場合日本本社はないものの、リモートのプロジェクトも多いので、こうしたことを自分に言い聞かせてます。もちろん顔を合わせられるに越したことが無いので、必要あれば躊躇せず飛行機で飛んでいくようにもしています。

Facebookポストからの転載)

タイの外国人向けになされたポストの翻訳

タイの外国人向けになされたポスが話題になっています。僕も感銘を受けたので、ご本人の許可を得て日本語に訳してみました。タイの方々の想いが伝わる文章です。(追記:オリジナルを末尾につけました)

This is Japanese translation of a Facebook post, which was quite impressive to me, since we foreigners can understand why Thai people respect and love the king so much. Special thanks to K. Kavil Navanugraha !!

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タイ人以外の友人の皆さんへ

全てのタイ人にとって、最も悲しい出来事が起こったことはお聞きになられたと思います。2016年10月13日に、親愛なるプミポン・アドゥンヤデート国王が在位70年、89歳にしてご逝去されました。

それを受けてタイの友人がFBプロフィールの写真を黒を基調としたものに変更し、哀悼の意を表現しているのにお気づきになられたでしょう。また多くのニュースが、国全体が深い悲しみに包まれていることを報じています。どのような言葉でもこの悲しみを十分に表現することはできません。我々がこれまで無条件に、また心の底から愛してきた、心のよりどころを失いました。私たちの歴史の中で最も暗い出来事と言わなくてはなりません。しかし今、この国はその悲しみを共有するためにまた一つに団結しあっています。
王族、とくにプミポン国王とタイの人々との深い結びつきについて、ご存じない方も多いでしょう。なぜ私たちはこんなにも深く悲しんでいるのか。ささやかながら、しかし誇りを持って、私が知っていることを少しお伝えさせてください。

プミポン国王は1927年の12月5日に米国マサチューセッツ州ケンブリッジでお生まれになりました。プミポンとは、“大地の力”を意味し、プラチャーティポック王(ラーマ7世)によって名づけられました。お母様はもともとは一般階級の生まれでしたが、彼とお兄様、お姉さまを立派に育てられました。それは決して王室の豪華なイメージではなく、シンプルな普通のご家庭の育て方でした。

2歳の時、プミポン国王はお父様を難病で亡くされました。19歳の時、お兄様であるアーナンタ国王(ラーマ8世)が不慮の事故で命を落としたため、彼は国王に即位する依頼を受け入れ、以来国王の座についています。20歳の時に自動車事故により片目を不自由にされ、その後は常に片目で人々のためのご公務に当たられてきました。70年間、ひと時も休まずに、です。

彼が国王として初めて公式に発せられたメッセージは、“私はすべてのタイの人々が健康で、良い生活が送れるよう、公正さを持って統治に当たります”というものでした。そして彼は最後のひと時まで、その約束を守り続けました。

70年間の在位期間の間に彼はタイ王国を隅々までほぼ余すところなく訪れました。それらの多くはほとんど名前も知られていないような遠方の場所ばかりでしたが、そうしたところに赴き人々を助け、問題を取り除き、そして人々の暮らしを向上させるために活動しました。いくつもの王室プロジェクトを立ち上げ、食べ物を作り、仕事を生み、そして人々に富をもたらしました。

彼の王宮は世界の王宮の中では唯一、豪華な飾りや瀟洒な品物とは無縁の場所ではないかと思います。そこには実験農場や、農業に関する発明品、畜牛、学校、衛星ラジオ局、などがあるばかりで、すべてはおよそ王宮にあるとは想像もしないものばかりです。彼は自分の時間、お金、そして自身の幸福すらも人に捧げていたのです。それらの献身はすべてたった一つの目的、つまり愛する国民の生活を良くすることのためだけに向かっていました。

彼の人々への愛は無条件で、人種や宗教には関係がありません。仏教徒、クリスチャン、ムスリムヒンズー教徒、すべての宗教の人々に対しても彼は公平に手を差し伸べていました。これこそが、タイ王国が宗教的な面で世界で最も自由な国である理由です。彼は偉大なリーダーであり、教師であり、創造者であり、科学者でありました。また同時に軍の最高司令官でもあり、農業家であり、また音楽家でもありました。そして何よりも、この国でたった一人の、人々の心を一つに結び付けられる人でした。

かつて彼はこう言いました。「私の居場所は人々の中にある。」 彼は自身の言葉で、そして行動で、お互いを愛しまた助け合うことを教えてくれたのです。

彼は豪華で幸福な暮らしを望もうと思えばできたかもしれません。しかしその代わりに彼は非常にシンプルな生活を選び、また自身のミッションを果たすための困難な道を選びました。

そこから彼が得られたもの、そして生涯をかけて成し遂げた功績はたった一つ、人々の幸福、それだけでした。

これが私たちが彼を愛する理由です。これほどまでに深く。

誠意を込めて、
Gwaen

タイ王国チェンマイより
2016年10月14日 新しい時代の最初の一日に

[Original]

Dear all my Non-Thai friends,

Some of you may have heard about the most tragic news in our lifetime for all Thai people, the death of our beloved King Bhumibol Adulyadej who passed away on 13th October 2016 at the age of 89 and during the 70th year of his reign.

Then, you may notice that not only all your Thai friends have changed their FB profile pictures and covers all into black to mourn our beloved King but you may notice also through several news sources about the nation's deepest grieve. Not a single face without tears. Not a single word well enough to express the sorrow. The whole nation has once again united as one to share moment of the darkest hours in our history, losing the heart of the nation who we love unconditionally and wholeheartedly.

For those who are not familiar with the strong bond between Thai people and the royal family, especially King Bhumibol, you may not understand why Thais are so much in deep sorrow when the King passed away. Let me proudly and humbly share with you some of his stories I know......

Born on the 5th of December 1927 in Cambridge, MA in US. He was named "Bhumibol" which means "The Strength of the Land" by King Prajadhipok (King Rama VII). His mother who was originally born as an ordinary people and well raised him and his brother and sister in a simple ordinary way, not in a royal luxurious way.

At the age of 2, he lost his father from a severe illness. At the age of 19, he lost his brother, King Anandamahidol from a mysterious accident. So, he had to accept the request from the government to start his service on the throne ever since. At the age of 20, he lost one eye from a car accident and he had used only one eye to work for his people throughout the long service of his monarch ever since..... The long 70 years of service without a rest.

His first royal statement as a king was " I will rule the land with righteousness for all the good and well-being of all Thai people" .... And he had done what he promised every single day of his life until his last breath.

Throughout 70 years of the reigning monarch, he had traveled to almost every bit of the kingdom, mostly remote areas where the names are not eventually known to us in order to visit his people and helped them getting rid of the problems they had and leveling up their quality of life. He created thousands of royal projects to create foods, jobs and wealth for his people.

His palace is the only palace in the world where there are no luxurious decorations or fancy stuffs. There are only testing farms, agricultural inventions, cows, school, satellite radio station and other stuffs you wouldn't imagine other kings would have in their palaces. He had sacrificed his happiness, time, money and put all his devotion to his service for one single purpose, to create good lives for his beloved people. He had unconditional love for all the people, regardless of races and religious. His supports were equal for Buddhists, Christians, Muslims, Hindi, etc. This is why Thailand is one of the most free country in the world, religious-wise. He was a great leader, teacher, creator, scientist, commander-in-chief, farmer, musician and above all, he was the only man in the country who could truly unite all the people as one.

He once said "My place in this world is to be among my people"............ He taught us with words and without words via his actions to love, help and give peace to each other.

For the one who could have had a happy luxurious life if he wanted to but ,instead, he had chosen a very simple life and rough road to complete his given mission. His reward and life-time achievement was only one thing, the happiness of his people.

This is why we love him........so much......

Sincerely,

  • Gwaen-

Chiang Mai, The Kingdom of Thailand
14 October 2016
1st day of the new reign

プミポン国王からシリントン王女への手紙(2004年)

タイのプミポン国王がなくなりタイは悲しみに暮れています。王様の人柄がわかる手紙の日本語訳があったので、ポストしておきます。
素晴らしい人間性とは何か、を教えてくれます。

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娘へ

この世界では、全てのものは常に対をなしている。
闇と光
善と悪
好きな方を選べと言われたら、誰もが明るい方を、良い方を選ぶだろう。
しかし、その願いを叶えるには、明るい方、良い方に向かうには、人を愛することが必要だ。

人を愛することで、あらゆる問題は解決できる。
この世界は幸福で満たされ、平和になり、愛で溢れるようになる。

お前に伝えておきたい。

1. 周りの人をみんな友と思いなさい。共に生を受け、共に歳を重ね、共に痛みを分かち合い、共に天に召される。過去も、現在も、未来も、いつのときも、全てを分かち合う友だと。

2. 世界の良いところを見なさい。そうすれば世界はより良いものになる。現実をきちんと見ること。そうすることで、問題のあるべき解決策が導き出される。

3. 自分の足で立ちなさい。すでに満たされているのだというベースを自分の中に持つこと。今あるもの、今得られているものに満足すること。それがどうであれそれを受け取る。執着せず、あればいいが、なくてもいい、という考え方を持つこと。身の丈に合ったものに満足すること。持っているものが少なければ、得られるものが少なくても、それで満足すること。

ー 余裕を持つこと。自分に余裕がないと周りに迷惑をかけてしまう。
ーそこそこで満足すること、働いて、その働きに見合ったもので満足するということ。
ー 自分自身に見合った立場でちゃんと生きること。

4. ぶれない心を持ちなさい。怠惰は罪であり、勤勉さには価値があると知りなさい。嫌なことがあったときは、またいいこともあるし、楽もあれば苦もある、賞賛を浴びることもあれば陰口を叩かれることもある。ついてないときもあれば運に見放されるときもある。それが自然の摂理なのだ、と唱えなさい。
むやみに嘆いたりせずに、「そういうものだ」と思いなさい。

父より
2004年10月6日

【アジア式組織運営vol.3】リーダーの最も大切な仕事とは?

外部寄稿ブログ「アジア組織運営を考える」第3回です。


本コラムの読者には組織の中で人を引っ張るリーダーの立場に立っている人も少なくないでしょう。今回は「リーダー」の仕事について考えてみます。

●リーダーの最も大切な仕事=ビジョンを示すこと

「アジアで最も偉大なリーダー」と言われて、リークワンユーの名前を挙げる人は多いでしょう。マレー半島の小島に過ぎなかったシンガポールを一代でアジア随一の経済大国に育て上げた彼の功績は多くの人に認められています。彼が昨年惜しまれつつ亡くなりましたが、彼が発揮したリーダーシップからは多くの学びを得ることが出来ます。
シンガポールは中国系、マレー系、インド系などの多様な民族が住んでいる国で、民族間の融和が建国当初からの課題でした。それゆえ「多民族主義」(multiracialism) を掲げ多様性国家の維持に力を注ぎました。また、資源の無い同国が成長するには人材を育てるしかないため、「能力主義」(meritocracy)も重視し国家を運営すると宣言しました。こうした「ビジョン(=目指したい将来像)」を彼は何度も力強く語り、ついにはそれを実現してしまいました。

こうしたビジョンを掲げることは、日本人のリーダーはあまり得意ではないと言われます。なぜならばハイコンテキスト=文脈依存型の日本人は「全てを言わなくてもわかる」と考える傾向があり、わざわざどういう状態を目指すかを説明しなくても用が足りるからです。例えば「良い会社」といえば日本人同士なら何となくその定義はすり合います。しかし、外国人と仕事をする場合は「どういう点でよい会社なのか」をきちんと説明し合意しないといけません。あなたにとっての「良い会社」が「仕事のやりがいががある会社」だったとしても、相手は「仕事がラクな会社」だと思っている可能性もあり、その場合会社は全く違った方向に進んでしまいます。

ここで言っているリーダーは会社のトップなどに限りません。自分が人を引っ張る立場にあるのであれば、何かしらのビジョンを打ち出すことは大切です。「楽しい職場にしよう」「ミスを減らそう」といった基本的なレベルでも構いません。「こうありたい」という姿を一人一人が発信し、そして相互に影響を与え合うこと、これを「Shared Leadership」といいます。強烈なトップダウン組織ではなく、前回ご紹介した「Share」型組織であるアジアの会社には、こうした「たくさんのリーダーがいる」というスタイルのほうがマッチすると私は考えています。

●言葉ではなく「ストーリー」で示す

さて部下が外国人の場合、ビジョンを伝えるのはより難しくなります。なぜならば言葉が通じないからです。ここで一つ重要なポイントがあります。ビジョンは「ストーリー」で語るということです。

ストーリーとは「物語」のことです。子どもの頃に、枕元でお母さんに物語を読み聞かせてもらった人は多いかもしれません。「昔々、あるところにおじいさんがいました…」といったものです。そうした物語を聞いていると、我々の頭の中には「映像」が浮かんできます。時系列で具体的に話すことで人は頭の中にその風景を「思い浮かべる」ことが出来るのです(これを聴覚映像といいます)。そのようにストーリーで伝えることができると、言葉が十分に理解できなくても相手はそれを視覚的に理解することできます。大ヒット映画が海を越えるように、映像は世界共通なのです。

先に紹介したリークワンユーは、シンガポールにまだ何もなかったころに、「いずれこの国に高層ビルが立ち並ぶのが見える」と語っていたそうです。これも視覚に訴える語り方です。また、タイで働くある日本人マネジャーは、こんなビジョンを語っていました。「みなさん、思い浮かべてください。工場をみんなできれいにして、工場の景色を変えましょう」。そういった映像を浮かばせるビジョンを語ったとき、皆さんの話はきっとスタッフの心に残るでしょう。

●「We」を定義する

最後にもう一つ。ビジョンを語るときは相手といかに「仲間」になれるかが大切です。初回のコラムで、あるシンガポール人が「我々はAsianだ」と語ってくれた話を紹介しましたが、これなどはうまいやり方です。つまり「我々は同じなんだ、”we”なんだ」と思わせることで相手と同じ方向性を向くことが出来ます。

例えば職場に日本人とタイ人がいるとします。どうやったら我々は人種の違いを乗り越えて、「We」になれるのでしょうか。そのためには「共通項」を見つけることです。最も効果的な方法はお客様をトリガーにすることです。食品メーカーであれば「タイの人々の食卓により良いものを届けたい」という点で、我々は心を一つにできるはずです。先日バイクの会社さんで研修をしましたが、バイクという乗り物を愛するという共通項での仲間意識を彼らは強く持っていました。ビジョンの主語となる「我々」にはどんな共通項があるのか。そこに目を向けることで、「●●人」という「違い」をわきに置いておく効果を得られるテクニック、といえます。

さて次回以降もアジアにおける組織マネジメントのポイントについて、もう少し踏み込んで考えていきます。