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非言語化のススメ

研修といえば「言語化」がつきもの。目標や目指す姿を言語化してみましょう、という形で研修やワークショップを終えることは既にお決まりのパターン、といえる。

言語化のメリットは、状況認知を助ける、ということがあるだろう。

ダニエル・ゴールドマンの名著『EQ−心の知能指数』に「感じたことに言葉を与えることができたら、その感情は自分のものとなる。」(小説家ヘンリー・ロスの言葉)という一節が出てくる。もやもやした自分の状態をとにかく言葉で表現してみる。そうすることであいまいだった理解を促進することができる。

一方で、無理やり言語化することで、言葉にならない概念が失われてしまう、というデメリットもある。

どの程度言葉にできるかはその人の語彙力に規定されてしまうし、そもそもその感情やイメージが、今の世の中にある言葉でピタッと表現できるとは限らないのだ。時々、「言葉にならないのなら、言葉にしなくていいですよ。」と言ってあげたくなる。きっとその人はいずれその感覚を言葉にできる日がくるのだ。

個人的な感覚だが、これは音楽でいう「平均律」というものと少し似ている感じがする。平均律とは、1オクターブを均等な周波数で分割すること。ピアノの1オクターブに12の鍵盤がある十二平均律というものが一般的だ。

しかし、じつは12の音階の間にも多くの音がこぼれ落ちている。ドとド#の間の音は鍵盤楽器では表現できないのだ。(弦楽器・管楽器では可能。)

むかし、ピアノを習いながら一方で地元の祭囃子を吹いていたので、この違和感を感じていた。(ドとド#の間の音はどこにいっちゃったの?)(平均律って、妥協の産物だよなぁ・・)と思っていた。実際、民謡や黒人音楽などの微妙なニュアンスを平均律では表現できない、という批判があるということを聞いたことがある。

このような、言葉にすることで表現できることが狭まる、ということについて養老孟司氏はこう言っている。

「例えば我々は、ものを名前で呼びます。自然のものを、たとえばリンゴならリンゴという。だけどリンゴにも色々な種類がある。黄色いものも青いのも赤いのも、青いのも酸っぱいのも、大きいのも小さいのも、木になっているのも、八百屋で売っているのも、腐って落っこちているのも様々です。それが言葉としては”リンゴ”の一語で言い表せます。一見便利なようですが、”リンゴ”という言葉を使った瞬間に、そのリンゴの持っているいろんなものが落ちる」
「今は現実よりも言葉が優先するんですね。そして言葉にならないことは、”ないこと”になってしまうんです。そうした中で、かろうじて絵とか音楽とか、いわゆる芸術といわれるものが、言葉にならないものとして踏みとどまっている」(『耳で考える』より)

また、岡本太郎氏はこう言っている。

「あなたは言葉のもどかしさを感じたことがあるだろうか。とかく、どんなことを言っても、それが自分の本当に感じているナマナマしいものとズレているように感じる。たとえ人の前でなく、ひとりごとをいったとしても、なにか作りごとのような気がしてしまう。
これは敏感な人間なら当然感じることだ。言葉はすべて自分以前にすでに作られたものだし、純粋で、本当の感情はなかなかそれにぴったり合うはずがない。
なにを言っても、なんか本当の自分じゃないという気がする。自分は創造していない、ほんとうではない、絶えずそういう意識がある。自己嫌悪を起こす。」
(『自分の中に毒を持て』より)

言葉は、他者との情報の交換可能性を高めるために存在する。だから、ビジョンを語るとか、他者との対話をするためには言葉にすることは欠かせない。

でも、「自分との対話には言葉は必要ない」のだ。

最近「アート」や「クレイ(粘土)」といった敢えて言語化しない、ワークショップのメソッドが増えてきている。これは表現のクリエイティビティを促進するし、そもそもこういう自己表現の”こぼれ落ち”を減らすアプローチだと言える。

自分は、「ビジネスパーソンの自己表現」をコンセプトに仕事をしているが、言葉による表現、言葉にできない表現、どちらも大切にしていきたいと思う。