読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Learning Web

起業、人材、アジア、などなど

翻訳も仕事も「不実な美女」であるべきだと思う

しばらく前に東京オリンピックのサイトがヤバイ」と話題になりました。

東京オリンピック招致のサイトが海外で酷評されている訳

この指摘の中には「国内向けのコンテンツを単純に翻訳するな」というものがあり、恐らくそれは正しいのだと思います。誰に伝えたいかをよく考えて、翻訳者が気を効かせて翻訳するなり、日本語文の作成者に問い質すなりのプロセスがあるべきだったのだと思います。一方で、それはなかなか簡単な事ではなく、通訳・翻訳という作業においてこういう事はよく起こります。

ということで、今日は「良い翻訳とは何か」について、2つほど例を挙げながら思う事を少し述べてみたいと思います。

翻訳・通訳について書かれた本で、私が昔から好きな本の1つに、米原万里氏の「不実な美女か貞淑な醜女か」があります。この書籍は、一線級のロシア語通訳士(翻訳ではない)であった米原氏が、通訳現場での出来事のエピソードをふんだんに交えながら通訳について書きつづった傑作エッセイです。(ちなみに米原氏は2006年に56歳の若さで他界されています。それを知った当時私はとてもショックでした・・・)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

本書では、翻訳(通訳)の良し悪しについて、タイトルにもあるように女性の美醜に例えてこんな風に書かれています。ちょっと長いですが引用します。

さて、この原文に忠実かどうか、原発言を正確に伝えているかどうかという座標軸を、貞淑度を測るものとし、原文を誤って伝えている、あるいは原文を裏切っているというような場合には不実という風に考える。そして訳文の良さ、訳文がどれほど整っているか、響きがいいかという事を、女性の容貌に例えて、整っている場合は、美女、いかにも翻訳的なぎこちない訳文である場合には醜女、という風に分類すると、この組み合わせは4通りある。「貞淑な美女」「不実な美女」「貞淑な醜所」「不実な醜女」の四通り。

(略)世の中の通訳者は、圧倒的多数の場合において「不実な美女」か「貞淑な醜女」をしているのである。では「不実な美女」と「貞淑な醜女」とどちらがいいかと言うと、それは好みの問題だという風に男の人なら言うかもしれないが、通訳については、時と場合によるというのが正確な答えだろう。

例えばパーティーのような席では、(略)正確に情報を伝えるよりも、その時の雰囲気を損ねないような、あるいは盛り上げるような通訳が必要とされる場合が多い。(略)しかし、何億というカネの損得がかかっているような重要な商談の最中には、美しい訳よりも、日本語として響きがいいよりも、相手が何を欲しているのか、何で怒っているのかという事が正確に伝わる方が、はるかに大切。という事で、ケースバイケースで「不実な美女」がよかったり、「貞淑な醜女」が良かったりするわけだ。

というわけで、「貞淑さ」(原文への忠実さ)と、「美しさ」(伝わる度合い)のどちらが良いのかは、彼女は「ケースバイケース」と言っています。一方で、彼女の周囲が彼女の通訳をどう評価していたかというと、どちらかというと「不実な美女」スタイルであったと思われます。例えば以下のようなコメントが本書にあります。

同時通訳者にも色々なタイプがあると思ったものだ。重箱の隅をつつくほど一字一句原文に忠実な逐語訳タイプ、無駄を省いて本質を伝える意訳タイプに大きく分けられるが、米原さんは後者の代表格。発言の本質を大胆につかみ、的確な日本語に置き換えてくれるのである。(名越健郎氏)

最終的な私の意見を先に言ってしまうと、この米原さんが取っている、「不実な美女」スタンスを私は支持します。ケースバイケースとはいえど、多くの場面において目的が達成されることの方が重要な事を考えると、正確さよりも相手に真意が伝わる事、また受け手にとって違和感のない表現で伝わる事、を重視すべきだと思うからです。

***

別なソースでもう一つ印象的な例を挙げます。今年度からNHKのラジオで「英語で読む村上春樹という番組が始まりましたが、日本語世界の村上春樹と、英語世界のハルキ・ムラカミを行き来する番組でなかなか面白いです。私は教材を見ているだけなのですが、例えばこんな興味深い対比がみつかりました。

小説「象の消滅」のまさに核心部分、象が消えてしまった事を伝えるくだりの翻訳で用いられている、印象的な工夫です。

日本語:それから突然象が消滅してしまったのだ。
英語:Then, without warning, the elephant vanished. One day it was there, and the next it had ceased to be.

日本語には全くない文章(one day以下)が、英語では、ある意味勝手に付け加えられています。こういった訳し方(というか、創作とも言える)はドイツ語、ロシア語、フランス語でもなされておらず、英語バージョンだけのようです。言語学者の沼野充義氏はこう解説しています。

このように原文にない文章を翻訳で付け加えることは、日本の翻訳の常識では許されないことと見なされる恐れがありますが、翻訳の正確さとは必ずしも逐語的な対応の正確さの事ではありません。この部分ではやはり象の「消滅」という不条理な出来ごとのインパクトを全体として伝えることが、語句レベルでの逐語的対応以上に重要だと訳者は考えたのでしょう。

この英語訳をした方にぜひお話を聞いてみたいところですが、この翻訳は「不実な美女」スタイルの訳で、原文への忠実さは完全に無視しています。文意を伝えることにコミットをした、ある意味でプロフェッショナルな仕事だと私は思います。もちろん小説とビジネスは違うので、ビジネスの場面ではここまでドラスティックな訳は許されない場合もありますが、スタンスとしては訳者かくあるべし、と感じます。

このように、翻訳(通訳)という作業では常に「忠実さ」と「美しさ(伝わる度合い)」のジレンマが存在します。両者を間を絶妙なバランスで行き来するのが優秀な訳者であるわけですが、私としては、ことビジネスの場面においては、「不実な美女」スタンスでの翻訳こそが、アウトプット重視、また顧客重視の仕事になると信じています。冒頭のオリンピックの例では、オリンピック招致先としての日本に興味を持ってもらいたい外国の人々、とりわけ選考委員の人々に対して説得力のある訴求をすることがもっと重要だったわけで、そのスタンスに立って、オリジナル文に対して時に「不実」な態度をとってもよかったのかもしれません。

***

さて最後に少し、ここまで述べてきた事を抽象化します。翻訳者(通訳者)が「忠実さ」と「美しさ(伝わる度合い)」のジレンマの中に存在する職業だとすると、これは他の様々な仕事にも言えることだろうなあと私は思ったりします。

例えば、コンサルタントも、「顧客の要望への忠実さ」と「結果や効果性の高さ」との間で揺れながら仕事のスタンスを決めることの多い仕事です。お客さんの要望を全部聞いたからといって結果が出るわけではありません。時にはお客さんの要望に首を振ることが、結果を出すうえでは重要な事だったりします。営業についても同じでしょう。お客さんの御用聞きになる事と、本当にお客さんのためになる仕事は、必ずしもイコールではありません。

いずれの場合においても、プロセスへの忠実度よりも、結果へのコミットメントを重視する「不実な美女」型の仕事をしていくことが大事なのではないか、と思うのでした。