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アービトラージ(Arbitrage)≠付加価値

アービトラージは付加価値では無い】

昔からずっと思っているんですが、最近またよく思うので書き残しておきます。

言いたいことは、「個人がアービトラージ裁定取引)でビジネスをすることはあまり好きではない」と言うことです。

アービトラージとは所謂、安いところで買って高いところで売るといった「格差」を利用して儲ける取引方法で、特にグローバル経営では当たり前の考え方です。人件費の安い国で生産してコストを押さえて先進国で売る、というのは最も一般的な経済的アービトラージの例ですし、フランスのワインを(フランスのようなワインが作れない)日本で売る、といった文化的アービトラージもあります。

この「差分」を利用したビジネスは「個人」でも可能です。

例えば「現地ガイド」とか「現地コンサルタント」とかがそうです。外国の人が持ち得ない知識をシェアすることによってお金を稼ぐ人たちは沢山います。また、「社会人が展開する学生向けビジネス」もアービトラージ型ビジネスと言えそうです。学生が知らない事を人生の先輩が教えてあげる。そこにビジネスが生まれます。

社会には色んなところにギャップがありますから、そこにはビジネスチャンスがあります。いわゆる「仲介」「紹介」「情報提供」といったものはこのアービトラージ型ビジネスと言って良いでしょう。

ただ、「個人が」これで稼ぐのがどうも昔から違和感があります。「それって本当に価値なのだろうか?」と思えてしまうからです。

自分がたまたま相手と違う場所にいるからそこで「サヤが抜ける」だけであって、努力して価値を付加していない場合に、違和感を覚えます。

「現地ガイド」にしても、別にその人でなくてもその国に居る人ならだれでもできるレベルのサービスであれば、本当はそれは「価値」では無い気がします。「学生からお金を取る社会人」も、「たまたま人生経験があるからモノが言えるだけ」というレベルでは、年の差を利用して学生からお金を取ってはいけない、と感じます。

もちろん、アービトラージを利用しつつきちんと付加価値を付けるモデルを構築したり、しっかりとしたリサーチや分析に基づいて付加価値を出している企業もたくさんあるわけで、そういうところを否定するわけではありません。

気をつけたいのは、「アービトラージ=価値」と自分でも思い込んでしまうと、そこに付加価値をつける努力をしなくなるという点です。それくらい「格差」で儲ける、つまりサヤ抜きをするのは簡単なのです。「長い業界経験に基づいてなんとなくアドバイスするコンサルタント」みたいな人はその典型かもしれません。その人が持っている情報が過去には価値だったとしても、現在・未来にも価値であり続けるためには、それ相応の努力が必要なはずです。

企業が永続的に「サヤ抜き」できるモデルを構築出来ていたらそれはエクセレントでしょう。一方、人間である個人がサヤ抜きでビジネスが出来てしまうと、恐らく付加価値を付ける努力をしなくなって、最終的には消費サイドの不利益につながります。なぜなら、たいていの情報格差はテクノロジーの進化によって、安価で、または無料で埋められる時代が既に訪れているからです。

プロフェッショナルは自分の提供価値を高める努力をし続ける責務がありますから、この「アービトラージの甘い罠」にハマってはいけない、と思うのです。

賛否あると思いますが、個人的にはそんな事を思っています。