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正月番組から感じた違和感:メディアとコンテンツ

さてお正月も終わりましたが、ちょっとした雑記を・・。

正月、久しぶりに実家でテレビを見ました。いわゆる「正月番組」というやつですが、見た印象は「正直あまりおもしろくない。」でした。よく言われるテレビ番組の質の劣化、オワコン化というのもあるのかもしれませんが、それ以上に「茶の間に集まってみんなでテレビ番組を見る」、という行為に強烈な違和感を覚えてしまったのでした。「劣化」というよりは、我々の「ライフスタイルとのアンマッチ」に近い違和感でした。そんな折に、積ん読状態だった田端氏の「Medeia Makers」を読んで、彼が読み説くメディアの変質と正月番組への違和感が僕の中でシンクロしましたのでメモしときます。

MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体

MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体

田端氏はメディアを「ストックvsフロー」「権威性vs参加性」「リニアvsノンリニアの3軸で整理しており、とても分かりやすいです。私はこのうち特に2つの要素でテレビとのアンマッチ感を読み解くヒントがあると思いました。

まず「権威性vs参加性」という意味では、テレビや新聞といったメディアがかつて持っていた「権威」は揺らぎつつあります。本書ではミシュラン食べログのどちらに信頼性があるか?という例が出てきますが、インターネットの登場によって権威よりも大衆の支持の方が高い信頼を得るケースも増えており、参加型メディアへの信頼性が相対的に高まっている状況があります。「テレビ局」というある種の「権威」が作った(キー局に限定すれば)6チャンネルの選択肢から選ばねばならない、という状況は、大衆に支持されるコンテンツがシェアされて浮き彫りになってきて、そうでないものは淘汰されるネットメディアとは非常に対照的です。「テレビでやってるんだから面白いはず」「これを見ることが明日の話題になるはず」という僕が子供の頃に持っていた、テレビ番組への見えない信頼感というものが自分の中にはもう無いのだな、という事に改めて気付きました。

そして「リニアvsノンリニア」の軸。リニア(単線的)とは、映画や小説のように最初から最後まで順を追ったストーリーとして触れるメディアの事ですが、ネットの登場によって受け手はノンリニア(単線的でなく、順不同で断片的な)な情報取得に徐々に慣れています。消費者は、好きな順番で、好きなように、いいとこどりで情報を得たいのです。映像メディアであっても、TEDやYoutubeのようにコマ切れになった状態の情報を得る方が快適になりつつあるのではないでしょうか。そんな中で、3時間の正月特番という、時間的拘束が長く、しかも面白い部分とつまらない部分も併せてずっと見て下さい、という選択の余地の無さはノンリニアな情報取得に慣れた自分には少々ストレスフルでした。

と、いう感じで「変われないメディア」としてのテレビへの問題意識が高まってしまったのですが、これはより一般化すると色々と気をつけねばならない話だと感じました。本書の主要なメッセージの一つにアーキテクチャ支配」というものがあります。これは、例えば音楽の伝達手段がレコードからCDに代わったことで音楽の作り方も変わったように、アーキテクチャ(構造)が変わるとそのコンテンツも影響を受けるという考え方です。How(手段)によってWhat(中身)の変容が必要になると言っても良いかもしれません。
人々の情報の得方がアナログからデジタルへ、リニアからノンリニアに進化する中で、元々の内容をデジタル化するとかコマ切れにするとかではなく、そもそも中身をその媒体の変容に合わせて最適化していく必要があるはずで、情報の出し手はその変化に敏感にならなくてはいけません。例えば「教育」においても、人の学び方(How)がオンラインで、アンリニア(体系的ではなく断片的に)に、ソーシャルに(ピアtoピア、相互学習で)なされるようになっている中で、学ぶべき対象物(What)についてはどう変わっていくべきなのか?という事についても議論の余地があるのかもしれませんね。

いずれにしてももっとテレビ頑張ってよ、と思うと同時に、ビジネスの推進者であればよりメディアのことを理解しなくてはいけない時代が来てるなぁ、と思わされる出来事および読書体験でした。