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「いつか越えていくべきもの」としての理念

ある企業の理念を勉強しているのですが、その中に「固定概念を疑え」という要素があってこれがなかなか面白いと思ったので今日はそこから考えたことを書きます。

その会社は常識を覆すような発想で、実際にいくつものヒットを飛ばしてきている会社です。ただ、よく考えると「固定概念を疑え」という理念は、自己矛盾をしています。「固定概念を疑え」という価値観を強要することは、それ自体がすなわち固定概念となる可能性があります。守るべき理念すら疑え、とこの会社は言っているのか?と考えると不思議な気がしてくるのです。

ただより詳しくみていくと、その企業は代々の経営者が常に、先代の教えを「疑って」きた企業だと言うことが分かってきました。そんな歴史があるからこそ、今の経営者は「固定概念を疑え」と言っているのかもしれませんが、彼は、「そう言っている俺の考えすら疑ってみろ」と言っているのではないか?とそんな気がしてくるのです。そう考えるとなおいっそう深みのある理念だなぁ、と感じます。

そこでより一般化して思うのが、理念とは最終的には「疑っていくべき対象」なのかもしれない、ということです。

理念とルールは違います。理念は心に留め置いてほしい原則ではありますが、盲目的にそれを守ることを目的とするわけではありません。あくまで一人一人が自発的に行動するためのヒントに過ぎないものです。「理念を浸透させよう」という企業は多いですが、そこで狙っていることは一人一人が自分で考えて動けるようになること、のはずです。

「従ってね。でも最後は自分で考えてね。」と言っているのが理念だということです。


その考えに立つと、リーダーにとっての理念というものはこうは言えないでしょうか。リーダーにとって「理念」とは、いつか越えていくべき対象である、と。

たとえば、(いきなりですが)武道家の修行にたとえてみましょう。厳しい修行の末に師匠から秘伝の巻物を受け取った武道家(ラーメンマンみたいなのを想像してください)がいたとします。彼は師匠が遺した巻物の教えに従いながら、戦いを重ねて技を磨いてきます。苦しい時は常に、巻物を開いて心の中の師匠と対話をします。

しかし、やがて格闘家にその巻物を上書きする日が来ます。時には師匠の教えを疑い、自分自身の考えに昇華させて、その巻物に筆を入れるのです。そうして教えを乗り越え発展させながらも、大切な師匠の考えを受け継いでいきます。


ビジネスリーダーも「理念を自分の言葉で語れ」とよく言います。それはつまり、基本のエッセンスは押さえながらも、自分自身の理念として上書きをしている作業とは言えないでしょうか。

理念は、対象を会社全体と捉えれば、社員の行動規範として浸透・共有すべきものです。ただ、未来のリーダーにとっては、少し違った捉え方をしてもらった方が良いのかもしれません。

理念と対話し、時に疑い、自分の考えを重ね、そしていつか乗り越えていく。それができた時にはじめてリーダーとして一皮むける。覚悟を備えた、凄みのあるリーダーになるためには守るべき理念を乗り越えることが必要なのかもしれない。そんなことを思いました。