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ジャック・マーの言葉:20歳から60歳にすべきこと

2015年の言葉ですが、たまたま目に飛び込んで心に残ったので訳しておきます。韓国で若い人に語った言葉だそうです。
元記事:Jack Ma - What Your Life Should Be Like Between 20 & 60 Years Old

20歳になるまでは、ただよい経験を得るために良い学生でいなさい。

30歳になるまでは、誰かについていきなさい。小さい会社に勤めるべきだ。多くの場合、大きな会社はプロセスを学ぶのに向いているが、それは大きな機械の一部になるといことだ。しかし小さな会社に勤めれば、情熱と、夢を学ぶことが出来る。一度に多くの事を学ぶことが出来る。つまり30歳になるまではどの会社に行くかは関係ない。どんな上司に仕えるかだ。良い上司はあなたに違いをもたらしてくれる。

30歳から40歳の間には、もしあなたが起業家になりたいのならば、「自分自身のために働いているか?」をはっきりと考えなければいけない。

40歳から50歳の間には、得意なことをすべてやりなさい。新しい領域に飛び込んではならない。遅すぎるからだ。うまく行くかもしれないが、成功確率が低い。だから、どうやったら得意なことにフォーカスできるかを考えるべきだ。

50歳から60歳の間は、若い人のために働きなさい。なぜなら、若い人の方が良くできるからだ。彼らに頼り、投資し、彼らが優秀だということを確信させなさい。

60歳を超えたら、自分の時間を過ごしなさい。ビーチで日光浴でも良い。変化をするには遅すぎる。

これが私から若者へのアドバイス。まだ25歳なら、思い切り失敗をしなさい。心配いらない。転んで、立ち上がって、また転んで。楽しめばいいんだ。まだ25歳だ。ショーを楽しみなさい。

誕生日に思った、人生って短いなということ。

先週39歳になりましたが、誕生日を迎えて改めて思うのは、人生って短いよねといこと。つぶやきです。

人生100年時代と言いますので、70歳くらいまでは仕事するかもしれません。つまりまだあと30年くらい仕事人生があるのかもしれませんが、一年一年の速さを感じるにつけ、30年という年月も結構あっという間なんだろうな、と感じます。(諸先輩方からすればまだまだ若造ではありますが)

そんなこともあり、ここ数年はこんなことを思っています。

●自分のことはちゃんと世の中に表現しておく

若いころブログを書いていた時は、「この文章を知り合いが読んだら恥ずかしいな」とか「こんなこと書いて批判が来たらどうしよう」ということを思っていました。

が、だんだんわかってきたのは、「みんな俺のことを気にするほどヒマじゃないし、俺の文章なんてそんなに誰も読んでないわボケ!」ということ。結局、まだ書いてもいないのに、誰かがこう思うんじゃないか、ああ思うんじゃないか、というのは自意識過剰であり、時間の無駄、ということだと最近は思っています。本当に有名人になれば炎上とかいろいろあるのかもしれませんが、そんなのは有名になるくらいの実力をつけてから心配すればよいことです。

「モジモジしている間に人生は終わってしまう」のです。なので、表現したいことはさっさと表現してしまった方が良い。そうすることでまた新しい自分を発見することが出来、結果として次のステージに進んでいくことが出来ると思うのです。

●人間関係をないがしろにしない

人間、心に引っかかっている人間関係というのが一つや二つあるものです。よく「縁を切る」と言いますが、形式的に縁を切ることは出来ても、社会の中で二人は存在し続けますし、共通のコミュニティの中で顔を合わせることもあります。つまり縁を切ることなんてできず、完全に縁を切るには人生は短すぎます。

会社を経営しているとスタッフとの別れはつきものです。「もう顔を見たくないわ」という人も正直いますが、なるべく顔を見ないようにしていても、夢の中には出てきたりします。たまたま会社の中では関係がうまく行かなかったとしても、自分の人生という舞台の脚本の中の登場人物として、その人の存在は残り続けます。むしろ、重要な登場人物として残るでしょう。そういう人たちのことを忘れ去ることは出来ません。

であればその人との出会いに感謝し、新たな関係を作る方が良いでしょう。別に親友になる必要はありません。ちゃんと顔を見て挨拶をできる関係性になれれば十分。そうすることで、その人と過ごした時間を肯定できます。いろんな人との関係性を切り捨ててきた人は、ラクになるようでむしろ生きるのが辛くなります。そうした人との関係を避けて生きようとすると、逆に人生は長く感じられることでしょう。

また、いま一緒にいる人との関係も決して永遠に続くものではありません。何らかの理由で、我々の周りにいる人は入れ替わっていきます。それは転職かもしれないし、死別かもしれません。5年、10年続く関係よりも、2,3年で終わる関係の方が多いでしょう。そう思うと、今一緒にいる人からもっと学べる事、もっとお互いを知り合えることは沢山あります。今の自分の周りにいる人ともっと話をしておきたいな、と僕は思います。もちろんその中でも一番大切な存在が家族であることは言うまでもありません。

以上の2つが、心の在り方として意識して行きたいなー、と今週思ったことです。

よく「人生短いのでやりたいことはやっておけ!」と言います。自分も、もっと世界を見てみたいとか、幼稚園を経営してみたいなとか色々夢はあるのですが、少なくとも今の自分には自分のビジネスを切り盛りするだけで精一杯であり、それを必死でやることにそれなりに満足していたりもします。なので欲張らず、心の中で上記の2つを大切にしていけばそれなりに自分は幸せになれるのかな、というのが今年の誕生日に思ったことでした。

Newspicks ピッカー交流会 in Singaporeに行ってきました

昨日シンガポールで行われた、Newspicksのピッカー交流会というのに行ってきたので、感想を簡単にまとめておきます。

当初定員40人のところ、それを上回る参加者が集まったとのことで会場はとても盛況。皆さんの期待の高さがうかがえました。僕のようにタイから来た人もいれば、どうやら中国から来た人も?ということでシンガポールだけにとどまらない場になりました。僕は「えっ、このために来たんですか?」と何度も聞かれました(笑)。半分yesで、このイベントがあるので出張を絡めて来ることにしました。(さらに言うと週末家族も呼んで家族旅行もくっつけました。)

出演は豪華キャストで、Newspicks ASEANエコノミストの川端さん、CDIの小川さん、そしてお馴染みリーゼントマネジャーの岡田さん。いずれも顔見知りですが、少しご無沙汰もしていたので、久々にお顔を拝見してお話もしたいな、と思い参加してみました。

川端さんはASEANの2018年のマクロをダイジェストでプレゼン。引き出しの多い川端さんなので、これだけで2~3時間ゆっくり聞きたい内容でした。小川さんのポイントは「桶狭間を創れ」。つまり、ASEANでグローバル企業に対抗するには、勝てる土俵を決めてそこに資源を集中する必要がある、というたいへんわかりやすいお話でした。そして岡田さんは彼がグローバルの中で生き抜いてきた秘訣を、主にコミュニケーション面について、いつもの調子で熱く語って頂きました。

限られた時間ではありましたが、「マクロ」「企業」「個人」という3階層が明確だったので、話は多岐にわたりながらも多様な関心に対するコンテンツとしてバランスが取れていたように思いました。また、普段こういった集まりだと、「起業家向け」「日系企業駐在員向け」とどうしても属性が分かれがちですが、それらを全て横串を通して、「新しいコミュニティを作る」という試みは価値があると思いましたし、懇親会でお話ししたUSERBASEの皆さんから伝わってきた「経済メディアで世の中を変える」という思いと相まって、ああ、新しい場を作ろうとされてるんだなぁ、というのが感じられる良い場でした。

今後は「月1回(!!)」アセアンのどこかでやるということで、かなり大変だと思いますが、陰ながら応援していきたいと思います。今後への期待の意味での改善点としては以下です。

1)スピーカーが魅力的だけに、もう少しプレゼンが聞きたかった。お三方のお話がやや短く、もう少しそれぞれの専門分野のお話をききたいなーという気持ちが残りました。(時間の兼ね合いもあったと思います)

2)参加者同士を繋がりやすくする仕掛けがもう少しできたかも?。例えば事前に予告記事を事務局にポスト頂いて、参加者がそれぞれにピックして臨むとか。それによりお互いのプロファイルが事前にわかるので、懇親会などでもよりアクセスしやすくなる気がします。

3)トピックスの設計。話題が幅広いだけに主語が「日系企業」「日本人」と色々混ざるので頭がついていくのが大変でした。例えばパネルディスカッションを2,3個のテーマに最初から設定して(例:「日系企業がアセアンで勝つには」「日本人がアセアンで活躍するには」)、大きなトピックスの流れをコントロールしたほうが議論がフォーカスできるかも、と思いました。その場合、会場との兼ね合いですが、参加者同士でグループディスカッションするような仕立てもありだと思います。

以上、今後の応援の意味も兼ねて、改善点も書いてみました。いずれにしても新しい取り組み、応援したいと思います。

シンガポール系インターでの面談で感じたこと

さて8月からバンコクにあるシンガポール系インターに通っている3年生の長男ですが、年間3タームあるうちの最初のタームが終了しました。昨日は親子面談に行って、先生と色々と会話をしてきました。自分も社員に了解を取って、仕事を抜け出して行ってきました。

システムとしてはオンライン上で先生のスケジュールが15分スロットで公開されるので、それぞれに好きな先生とのアポを取って話しが出来るシステムです。うちはEnglish, Japanese, Thai, そしてMathの4科目の先生とのアポを取りました。こうした主要科目だけではなく、他にもScienceやMusicなどその他科目の先生のアポも取れるようです。面談はもちろん英語(一部Singlish)です。子供を同席させることも可能で、我が家は子供もあえて同席させることにしました。本人も交えてフィードバックが受けられた方が有益かなと思い。

面談の内容ですが、年末に1週間のテストウィークがあったので、そこで全ての科目にスコアがついているのでその結果を返されて、どこが出来ているとか、どこが苦手だとかのフィードバックをもらうのが主です。もちろん親からの質問もOKです。成績表は期末テストの点数を約半分として、残りは普段のミニテストや学習態度などをベースにA+からCまであるそうです。日本のように相対評価ではなく、絶対評価なので、Aを取っているからと言って上位何%なのか、というのはわかりません。平均点を聞けばだいたい想像がつきますが、平均は教えてくれる先生と教えてくれない先生がいました。

感想としては、6月まで通っていたアメリカ系のスクールよりも、やはり勉強には熱心で(テストが多い)、それだけでなく一人一人をかなり見て、フィードバックしてくれるなという印象。アメリカ系にも色々あると思いますが、以前長男が通っていたところはテストや宿題が少なく、態度評点だけだったので、先生からのフィードバックも抽象的になりがち。成績表も中心化傾向にあり、良いのか悪いのか判断が難しかったです。その点、ペーパーテストで出来不出来の差がつくというのは、生徒の状態を把握するという意味では良いなぁと思いました。

前回(以下リンク)、Mathのクラスレベルの問題で色々と奮闘してくれた先生とも話すことが出来ました。結果、テストの成績が良かったので彼女は早速学校に掛け合ってくれたとの事。タームごとにクラスの入れ替えがあるので、恐らく考慮されるのではないかという事でした。こうやってタイムリーに生徒のレベルにあった授業が用意されるのは理に適っていて有難いなと思いました。その先生はとてもよくうちの子を見てくれていたので、彼女から離れてしまうのは残念なのだけれど。

親が参加するイベントが多いので、恐らく日本の学校よりも親の負荷は高いのですが、学校と親の距離がとても近いのは子供の様子を知るうえで有難く思っています。幸い、成績も悪くなく勉強も楽しいようなので、このまま学んでいってほしいなと思っています。

前回のブログ:インターの先生とのやりとり - Learning Web

お年玉を外貨で渡すことはとても良い教育かもしれない

タイの知り合いが「日本の親戚に渡すお年玉をバーツにしてみたら好評だった」と言っていて、それって教育効果も凄くありそうだな、と思いました。

自分は田舎で育ったので、小学生くらいの時なんて外国のおカネなんて見たこともなかった。でも、幼いころから、日本の他にもいろんな国があってそれぞれに経済がある、という事を知ることは視野を広げる上ですごく大切なこと。そして、その子が外国のお金を大切に貯金箱にしまって、「いつか海外でそのお金を使ってみたい」と思いながら海外や外国語に興味を持って成長していったとしたら、どれほどの計り知れない教育効果だろう。単純にお年玉をあげるよりも、よほど本人の将来のためになるプレゼントになるかもしれない。

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そもそも、おカネというのは社会を知る窓としてとても有効だと思う。今、我が家はベトナムで年末年始を過ごしているのだけど、普段バンコクに住んでいる小学生と幼稚園のわが子たちもベトナムの紙幣を見るのは初めて。お札を見て好奇心がくすぐられ、僕を質問攻めにしてくれている。

ベトナムの紙幣に書いてあるオジサンは誰?」
「どうしてベトナムやタイは全部同じ人が紙幣に書いてあるのに、日本のお金はいろんな人が書いてあるの?」
「どうしてベトナムのお金はこんなにゼロが多いの?(1,000円が20万ドンくらい)。どうして硬貨が無いの?」
「どうしてベトナムのお金とタイのお金を交換するレートは変わるの?」

・・などなど。こういう質問にちゃんと答えてあげることは、とても良い社会勉強になると思う。(ちなみに全部をちゃんと答える上で親も勉強になることは間違いない)。そしてそれは今後、世の中を理解していくのにとても役立つだろう。

今年は日本に帰国しなかったのでお年玉を渡す機会は無かったのだけど、来年帰ったときはバーツでお年玉を渡してみようと思ったのでした。

起業4年目の終わりに思うこと~2017年振り返り

今年の大みそかはベトナムホイアンで過ごしています。ダナンから車で30分、世界遺産にも登録されている、日本人にも何となく懐かしい感じのする都市です。河に浮かぶランタンを見ながら散歩しながら過ごす大みそかも、なかなか良いものです。日本に遅れること2時間(タイとベトナムの時差は無し)、もうすぐ2017年が終わります。

昨年もブログで1年を振り返りましたが、順調そのものだった2016年に比べると、2017年は色々と苦しんだ1年でした。ビジネスは順調に伸びていますが、それに伴う成長痛のようなものが沢山出た感じです。組織の人数も倍増し、内部のコミュニケーションにこれまで以上にパワーがかかるようになったり、権限委譲を進めようとするもののなかなかスムーズに行かなかったり、と色々なことを経験しました。リーダーとしての理念やリーダーシップを何度も再点検する中で、会社の成長に合わせて自分のステージを変えて行かないといけないことを学びました。

もちろん良いことも沢山ありました。これまで以上に多くのクライアントにサービスすることが出来たことに加え、育ててきた新サービスがいくつもローンチ出来るなど、マーケットに対していくつかの明確な手を打てて来たのは大きな成果でした。一人では到底実現できないことが、メンバーやパートナーの皆さんと協力することでカタチに出来るんだという事を実感した1年でした。今年も、色々な社内外のパートナーの方の力をお借りして仕事をし、そして意味のある仕事として恩を返すスタンスは今後も変えずにやっていきたいと思います。

来年は、もっと「外に出る」ことを意識する1年にします。内部をしっかり回してくれるメンバーを信じて任せ、その分の時間で自分にしかできない発信活動や社外ブランディング、リレーション活動、ビジネス創造を行っていきたいと思います。2018年が転換期だった、と思えるような、動きのある1年にしていきたいと改めて決意しています。本ブログの更新や、昨年途中で止まってしまった英語で文章を書く習慣も改めて重要度を上げて取り組んでいきたいです。

ちなみに毎年我が家は12月31日に「家庭内MBO」をやっていまして(笑)、家族それぞれの目標の振り返りと新年の目標を決めることにしています。一冊のノートにずーっと記録をつけているのですが、毎年の目標の変遷があって面白いです。といっても、そろばんの試験に合格するとか、キュウリが食べられるようになるとか、微笑ましいものばかりです。子供たちは英語やそろばん、読書を頑張るそうです。今年は、自発的に目標を宣言してくれて、子供のころから目標を決めさせる意義をちょっとだけ感じました。すぐ忘れてサボらないように、壁に貼ろうと思います(笑)

自分は仕事以外には、子供とのテニスとピアノは続けつつ、長男とマラソンに挑戦することを目標にしてみました。また家族全体としては、ちゃんと挨拶ができる家庭の文化を作りたいと思います。どれだけ仕事が忙しくても家庭が基盤なので、負担をかけている妻に感謝し、バランスを失わないよう心がけて行きます。あとは最後に、バンコクサンドイッチマンの会会長としての活動も頑張ろうと思います(笑)仕事の成果はもちろんですが、健康で楽しく過ごせる一年にしたいです。

人を信じるとはどういうことか

会社を始めて少ししたころ、3年くらい前の話です。

あるワークショップをやっていて、とても苦戦する展開になりました。内容は「日本人に、タイ人のマネジメントの仕方を教える」というものでした。基本的には僕のスタンスは、「郷に入っては郷に従え。ここはタイなんだからタイのやり方に合わせるくらいでないとダメ」「リーダーたるもの、自らの姿勢を改める姿勢で部下と向き合うべき」という考え方で仕事をしているので、そういうトーン、メッセージでやっていました。

ところが、とても難しい参加者がいました。「自分はもう5年近くタイでやってきて、もうタイ人には何を言っても無駄だと思った。タイ人を信じるといっても、こちらは緊急のプロジェクトをいくつも抱えている。たくさん痛い想いもしてきた。綺麗ごとで仕事は回らない。」と。完全に心を閉ざしてしまっています。

こういう方は時々います。それぞれ、苦労に裏打ちされた持論がありますので、それ自体は否定するものではありません。しかしながら、その態度では部下との溝は開いていくばかりです。得てしてそうした方が職場のボトルネックになってしまっているので、僕の仕事は少しでもそうした状況に変化をもたらすことです。

しかし、当時の僕は今よりもさらに経験が浅く、この状況への対応にとても困りました。面と向かって「あなたの考えは受け入れられない」と言われているのに等しい展開です。結局、恐らくは彼に十分な気付きを提供できないまま、そのワークショップは終わりました。僕はプロとして求められていた価値貢献ができたのか、すごく落ち込み、悩みました。

そのころから自分にはメンターとも呼ぶべき先生がいました。御年68歳、研修講師歴30年以上のベテラン先生です。僕を直接知っている方はよく話題に出すのでご存知だと思いますが、僕はその方から刺激を受け、時々お会いして教えを乞うようにしていたのです。

僕は彼に相談しました。自分の力不足で彼に気付きを与えられなかったと。ただ彼は心を閉ざしていてどうしていいかわからなかったと。

その先生はこんなことを言いました。

「・・・彼はどんな思いでそれを君に吐露したんだろうねぇ?」

彼は続けます。

「たぶんその人はそうとうつらい思いをしてきたんだろうね。恐らくそんな話を普段人にはしないだろう。それを、研修という場で、みんなの前でその思いをぶちまけたんだ。すごい勇気じゃないか。君はその気持ちを想像することができたか?」

「僕なら、その彼に深い感謝を込めて、”思いを伝えて頂いて、ありがとうございます”。と言うよ。彼は勇気をもってその話をしてくれたんだ。それで十分じゃないか。」

「人に対して心をオープンに出来ない人。人との関係性がうまく行っていない人。そういう人は、自分で自分のことをうまくマネージできていないんだよ。自分で自分の事を持て余してしまっている。そういう人がそういう発言をするんだ。彼は孤独なんだよ。我々に出来ることは、そんな彼の悩みを、一生懸命、理解してあげる事なんじゃないだろうか。」

・・・と、そんな話が続きました。

その先生は一事が万事、そんな調子です。何も答えを教えてはくれないのですが、答えを求めていた自分には気づかせてくれます。

こうした経験から、ここ数年、「相手を受け入れる」ことこそリーダーの姿勢だと肝に銘じてやってきました。心を閉ざしている人に対しては、その人が抱えている問題に耳を傾け、寄り添うように努めてきました。人を信じるとは、今の僕の定義ではそういう事です。

これは口で言うほど簡単なことではありません。自分の中の執着やこだわりを手放し、深い愛を備えていないとそうした態度はとることができません。今それが出来ているかというと、正直まだまだ、と思います。でも一人のリーダーとして、人の役に立つ仕事をしているものとして、その境地を目指していきたいといつも思います。

その先生には年に1回タイに来ていただき、研修をして頂いています。明日から3日間そのプログラムが始まります。毎年、年末に行うのですが、一年間で自分がどの程度成長したのか、自らを振り返る良い機会になっています。せっかくなので文章にしてみました。駄文乱文、失礼しました。