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タイの外国人向けになされたポストの翻訳

タイの外国人向けになされたポスが話題になっています。僕も感銘を受けたので、ご本人の許可を得て日本語に訳してみました。タイの方々の想いが伝わる文章です。(追記:オリジナルを末尾につけました)

This is Japanese translation of a Facebook post, which was quite impressive to me, since we foreigners can understand why Thai people respect and love the king so much. Special thanks to K. Kavil Navanugraha !!

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タイ人以外の友人の皆さんへ

全てのタイ人にとって、最も悲しい出来事が起こったことはお聞きになられたと思います。2016年10月13日に、親愛なるプミポン・アドゥンヤデート国王が在位70年、89歳にしてご逝去されました。

それを受けてタイの友人がFBプロフィールの写真を黒を基調としたものに変更し、哀悼の意を表現しているのにお気づきになられたでしょう。また多くのニュースが、国全体が深い悲しみに包まれていることを報じています。どのような言葉でもこの悲しみを十分に表現することはできません。我々がこれまで無条件に、また心の底から愛してきた、心のよりどころを失いました。私たちの歴史の中で最も暗い出来事と言わなくてはなりません。しかし今、この国はその悲しみを共有するためにまた一つに団結しあっています。
王族、とくにプミポン国王とタイの人々との深い結びつきについて、ご存じない方も多いでしょう。なぜ私たちはこんなにも深く悲しんでいるのか。ささやかながら、しかし誇りを持って、私が知っていることを少しお伝えさせてください。

プミポン国王は1927年の12月5日に米国マサチューセッツ州ケンブリッジでお生まれになりました。プミポンとは、“大地の力”を意味し、プラチャーティポック王(ラーマ7世)によって名づけられました。お母様はもともとは一般階級の生まれでしたが、彼とお兄様、お姉さまを立派に育てられました。それは決して王室の豪華なイメージではなく、シンプルな普通のご家庭の育て方でした。

2歳の時、プミポン国王はお父様を難病で亡くされました。19歳の時、お兄様であるアーナンタ国王(ラーマ8世)が不慮の事故で命を落としたため、彼は国王に即位する依頼を受け入れ、以来国王の座についています。20歳の時に自動車事故により片目を不自由にされ、その後は常に片目で人々のためのご公務に当たられてきました。70年間、ひと時も休まずに、です。

彼が国王として初めて公式に発せられたメッセージは、“私はすべてのタイの人々が健康で、良い生活が送れるよう、公正さを持って統治に当たります”というものでした。そして彼は最後のひと時まで、その約束を守り続けました。

70年間の在位期間の間に彼はタイ王国を隅々までほぼ余すところなく訪れました。それらの多くはほとんど名前も知られていないような遠方の場所ばかりでしたが、そうしたところに赴き人々を助け、問題を取り除き、そして人々の暮らしを向上させるために活動しました。いくつもの王室プロジェクトを立ち上げ、食べ物を作り、仕事を生み、そして人々に富をもたらしました。

彼の王宮は世界の王宮の中では唯一、豪華な飾りや瀟洒な品物とは無縁の場所ではないかと思います。そこには実験農場や、農業に関する発明品、畜牛、学校、衛星ラジオ局、などがあるばかりで、すべてはおよそ王宮にあるとは想像もしないものばかりです。彼は自分の時間、お金、そして自身の幸福すらも人に捧げていたのです。それらの献身はすべてたった一つの目的、つまり愛する国民の生活を良くすることのためだけに向かっていました。

彼の人々への愛は無条件で、人種や宗教には関係がありません。仏教徒、クリスチャン、ムスリムヒンズー教徒、すべての宗教の人々に対しても彼は公平に手を差し伸べていました。これこそが、タイ王国が宗教的な面で世界で最も自由な国である理由です。彼は偉大なリーダーであり、教師であり、創造者であり、科学者でありました。また同時に軍の最高司令官でもあり、農業家であり、また音楽家でもありました。そして何よりも、この国でたった一人の、人々の心を一つに結び付けられる人でした。

かつて彼はこう言いました。「私の居場所は人々の中にある。」 彼は自身の言葉で、そして行動で、お互いを愛しまた助け合うことを教えてくれたのです。

彼は豪華で幸福な暮らしを望もうと思えばできたかもしれません。しかしその代わりに彼は非常にシンプルな生活を選び、また自身のミッションを果たすための困難な道を選びました。

そこから彼が得られたもの、そして生涯をかけて成し遂げた功績はたった一つ、人々の幸福、それだけでした。

これが私たちが彼を愛する理由です。これほどまでに深く。

誠意を込めて、
Gwaen

タイ王国チェンマイより
2016年10月14日 新しい時代の最初の一日に

[Original]

Dear all my Non-Thai friends,

Some of you may have heard about the most tragic news in our lifetime for all Thai people, the death of our beloved King Bhumibol Adulyadej who passed away on 13th October 2016 at the age of 89 and during the 70th year of his reign.

Then, you may notice that not only all your Thai friends have changed their FB profile pictures and covers all into black to mourn our beloved King but you may notice also through several news sources about the nation's deepest grieve. Not a single face without tears. Not a single word well enough to express the sorrow. The whole nation has once again united as one to share moment of the darkest hours in our history, losing the heart of the nation who we love unconditionally and wholeheartedly.

For those who are not familiar with the strong bond between Thai people and the royal family, especially King Bhumibol, you may not understand why Thais are so much in deep sorrow when the King passed away. Let me proudly and humbly share with you some of his stories I know......

Born on the 5th of December 1927 in Cambridge, MA in US. He was named "Bhumibol" which means "The Strength of the Land" by King Prajadhipok (King Rama VII). His mother who was originally born as an ordinary people and well raised him and his brother and sister in a simple ordinary way, not in a royal luxurious way.

At the age of 2, he lost his father from a severe illness. At the age of 19, he lost his brother, King Anandamahidol from a mysterious accident. So, he had to accept the request from the government to start his service on the throne ever since. At the age of 20, he lost one eye from a car accident and he had used only one eye to work for his people throughout the long service of his monarch ever since..... The long 70 years of service without a rest.

His first royal statement as a king was " I will rule the land with righteousness for all the good and well-being of all Thai people" .... And he had done what he promised every single day of his life until his last breath.

Throughout 70 years of the reigning monarch, he had traveled to almost every bit of the kingdom, mostly remote areas where the names are not eventually known to us in order to visit his people and helped them getting rid of the problems they had and leveling up their quality of life. He created thousands of royal projects to create foods, jobs and wealth for his people.

His palace is the only palace in the world where there are no luxurious decorations or fancy stuffs. There are only testing farms, agricultural inventions, cows, school, satellite radio station and other stuffs you wouldn't imagine other kings would have in their palaces. He had sacrificed his happiness, time, money and put all his devotion to his service for one single purpose, to create good lives for his beloved people. He had unconditional love for all the people, regardless of races and religious. His supports were equal for Buddhists, Christians, Muslims, Hindi, etc. This is why Thailand is one of the most free country in the world, religious-wise. He was a great leader, teacher, creator, scientist, commander-in-chief, farmer, musician and above all, he was the only man in the country who could truly unite all the people as one.

He once said "My place in this world is to be among my people"............ He taught us with words and without words via his actions to love, help and give peace to each other.

For the one who could have had a happy luxurious life if he wanted to but ,instead, he had chosen a very simple life and rough road to complete his given mission. His reward and life-time achievement was only one thing, the happiness of his people.

This is why we love him........so much......

Sincerely,

  • Gwaen-

Chiang Mai, The Kingdom of Thailand
14 October 2016
1st day of the new reign

プミポン国王からシリントン王女への手紙(2004年)

タイのプミポン国王がなくなりタイは悲しみに暮れています。王様の人柄がわかる手紙の日本語訳があったので、ポストしておきます。
素晴らしい人間性とは何か、を教えてくれます。

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娘へ

この世界では、全てのものは常に対をなしている。
闇と光
善と悪
好きな方を選べと言われたら、誰もが明るい方を、良い方を選ぶだろう。
しかし、その願いを叶えるには、明るい方、良い方に向かうには、人を愛することが必要だ。

人を愛することで、あらゆる問題は解決できる。
この世界は幸福で満たされ、平和になり、愛で溢れるようになる。

お前に伝えておきたい。

1. 周りの人をみんな友と思いなさい。共に生を受け、共に歳を重ね、共に痛みを分かち合い、共に天に召される。過去も、現在も、未来も、いつのときも、全てを分かち合う友だと。

2. 世界の良いところを見なさい。そうすれば世界はより良いものになる。現実をきちんと見ること。そうすることで、問題のあるべき解決策が導き出される。

3. 自分の足で立ちなさい。すでに満たされているのだというベースを自分の中に持つこと。今あるもの、今得られているものに満足すること。それがどうであれそれを受け取る。執着せず、あればいいが、なくてもいい、という考え方を持つこと。身の丈に合ったものに満足すること。持っているものが少なければ、得られるものが少なくても、それで満足すること。

ー 余裕を持つこと。自分に余裕がないと周りに迷惑をかけてしまう。
ーそこそこで満足すること、働いて、その働きに見合ったもので満足するということ。
ー 自分自身に見合った立場でちゃんと生きること。

4. ぶれない心を持ちなさい。怠惰は罪であり、勤勉さには価値があると知りなさい。嫌なことがあったときは、またいいこともあるし、楽もあれば苦もある、賞賛を浴びることもあれば陰口を叩かれることもある。ついてないときもあれば運に見放されるときもある。それが自然の摂理なのだ、と唱えなさい。
むやみに嘆いたりせずに、「そういうものだ」と思いなさい。

父より
2004年10月6日

【アジア式組織運営vol.3】リーダーの最も大切な仕事とは?

外部寄稿ブログ「アジア組織運営を考える」第3回です。


本コラムの読者には組織の中で人を引っ張るリーダーの立場に立っている人も少なくないでしょう。今回は「リーダー」の仕事について考えてみます。

●リーダーの最も大切な仕事=ビジョンを示すこと

「アジアで最も偉大なリーダー」と言われて、リークワンユーの名前を挙げる人は多いでしょう。マレー半島の小島に過ぎなかったシンガポールを一代でアジア随一の経済大国に育て上げた彼の功績は多くの人に認められています。彼が昨年惜しまれつつ亡くなりましたが、彼が発揮したリーダーシップからは多くの学びを得ることが出来ます。
シンガポールは中国系、マレー系、インド系などの多様な民族が住んでいる国で、民族間の融和が建国当初からの課題でした。それゆえ「多民族主義」(multiracialism) を掲げ多様性国家の維持に力を注ぎました。また、資源の無い同国が成長するには人材を育てるしかないため、「能力主義」(meritocracy)も重視し国家を運営すると宣言しました。こうした「ビジョン(=目指したい将来像)」を彼は何度も力強く語り、ついにはそれを実現してしまいました。

こうしたビジョンを掲げることは、日本人のリーダーはあまり得意ではないと言われます。なぜならばハイコンテキスト=文脈依存型の日本人は「全てを言わなくてもわかる」と考える傾向があり、わざわざどういう状態を目指すかを説明しなくても用が足りるからです。例えば「良い会社」といえば日本人同士なら何となくその定義はすり合います。しかし、外国人と仕事をする場合は「どういう点でよい会社なのか」をきちんと説明し合意しないといけません。あなたにとっての「良い会社」が「仕事のやりがいががある会社」だったとしても、相手は「仕事がラクな会社」だと思っている可能性もあり、その場合会社は全く違った方向に進んでしまいます。

ここで言っているリーダーは会社のトップなどに限りません。自分が人を引っ張る立場にあるのであれば、何かしらのビジョンを打ち出すことは大切です。「楽しい職場にしよう」「ミスを減らそう」といった基本的なレベルでも構いません。「こうありたい」という姿を一人一人が発信し、そして相互に影響を与え合うこと、これを「Shared Leadership」といいます。強烈なトップダウン組織ではなく、前回ご紹介した「Share」型組織であるアジアの会社には、こうした「たくさんのリーダーがいる」というスタイルのほうがマッチすると私は考えています。

●言葉ではなく「ストーリー」で示す

さて部下が外国人の場合、ビジョンを伝えるのはより難しくなります。なぜならば言葉が通じないからです。ここで一つ重要なポイントがあります。ビジョンは「ストーリー」で語るということです。

ストーリーとは「物語」のことです。子どもの頃に、枕元でお母さんに物語を読み聞かせてもらった人は多いかもしれません。「昔々、あるところにおじいさんがいました…」といったものです。そうした物語を聞いていると、我々の頭の中には「映像」が浮かんできます。時系列で具体的に話すことで人は頭の中にその風景を「思い浮かべる」ことが出来るのです(これを聴覚映像といいます)。そのようにストーリーで伝えることができると、言葉が十分に理解できなくても相手はそれを視覚的に理解することできます。大ヒット映画が海を越えるように、映像は世界共通なのです。

先に紹介したリークワンユーは、シンガポールにまだ何もなかったころに、「いずれこの国に高層ビルが立ち並ぶのが見える」と語っていたそうです。これも視覚に訴える語り方です。また、タイで働くある日本人マネジャーは、こんなビジョンを語っていました。「みなさん、思い浮かべてください。工場をみんなできれいにして、工場の景色を変えましょう」。そういった映像を浮かばせるビジョンを語ったとき、皆さんの話はきっとスタッフの心に残るでしょう。

●「We」を定義する

最後にもう一つ。ビジョンを語るときは相手といかに「仲間」になれるかが大切です。初回のコラムで、あるシンガポール人が「我々はAsianだ」と語ってくれた話を紹介しましたが、これなどはうまいやり方です。つまり「我々は同じなんだ、”we”なんだ」と思わせることで相手と同じ方向性を向くことが出来ます。

例えば職場に日本人とタイ人がいるとします。どうやったら我々は人種の違いを乗り越えて、「We」になれるのでしょうか。そのためには「共通項」を見つけることです。最も効果的な方法はお客様をトリガーにすることです。食品メーカーであれば「タイの人々の食卓により良いものを届けたい」という点で、我々は心を一つにできるはずです。先日バイクの会社さんで研修をしましたが、バイクという乗り物を愛するという共通項での仲間意識を彼らは強く持っていました。ビジョンの主語となる「我々」にはどんな共通項があるのか。そこに目を向けることで、「●●人」という「違い」をわきに置いておく効果を得られるテクニック、といえます。

さて次回以降もアジアにおける組織マネジメントのポイントについて、もう少し踏み込んで考えていきます。

【アジア式組織運営vol.2】アジアに共通する価値観って?

外部寄稿ブログ「アジア式組織運営を考える」第2回です。

前回のコラムでは「日本人とタイ人は似ている」という点に触れました。ものの考え方や価値観が似ているということは組織運営上有利に働くはずです。ではどのような点が似ていると言えるのかをもう少し考えてみます。

●Harmony~家族的な調和を重んじる風土

私がタイの企業で顧客企業にインタビューするときに、「あなたの会社の風土を一言で表すと?」という質問をすることがあります。その際にスタッフの方からよく出てくるキーワードは「Family」です。会社の仲間と実際の家族であるかのように付き合い、食事やイベントなどを一緒に過ごす。そうしたことは多くのタイ人にとって重要な価値観ではないかと思います。
この文化は、基本的には日本も同じです。日本の会社の経営理念によくあらわれる言葉に「和」があります。集団の一体感、調和を重んじる組織風土が日本企業においては良いとされてきました。社員同士が「家族」のように付き合う考え方も日本においては長らく普通のことでした。象徴的なのは「飲み会」です。会社の人と頻繁に飲みにいきとことん話し合うことでお互いの思いを通い合わせる。そうしたことが日本の強い組織を作り、高品質なモノづくりに繋がってきました。

日タイいずれにおいても、家族的な信頼をベースにした調和型(Harmony)の組織が好まれてきたという意味での共通点はあるでしょう。

●「Share」という概念

少しその背景を考えてみます。「アジア」というもののルーツの一つには、農村の共同体の作り方があるといわれています。アジア的な農村においては、基本的には土地を「共同で」所有するのが普通でした。土地を共同で所有していますから、収穫も皆で分け合います。また、収穫するための労働も皆で分け合うというのがアジア的な農村の在り方の特徴です。対してヨーロッパでは、徐々に私有地をベースにした共同体に移行していきました。文化を大きな括りで比較してしまえば、欧米は個人主義、アジアは集団主義、という傾向がみられるのはこうした背景があるようです。

こうした「分け合う(share)」という概念はアジアの組織における仕事の仕方の一つのキーワードです。例えば「労働のシェア」。タイ人も日本人も、人を「助け合う」という価値観を好むという意味ではとても共通していると思います。例えばタイの研修でディスカッションをしていると「目標は個々人に割り振るよりもチームの目標として設定し、達成したらみんなでお祝いするほうが良い」という考え方を話してくれるタイ人マネージャーさんに出会います。このような考え方は、日タイ双方のメンタリティに合致するという意味で、日本人とタイ人が一緒に働くうえで非常に参考になります。

●文化よりも気になる「時代の価値観」

もう一つ別な視点を提示しておきます。先日、アジア各国の人々が「職場に求めるもの」を調査したアンケート結果が話題になりました。中国や韓国など東アジアの人々や、タイをはじめとする東南アジアの人々が選んだのは一様に「高い賃金」だったのに対して、日本だけが「人間関係」と「仕事内容」を選んでいた、という結果でした。こうしてみると「日本人は仕事が好き」「それ以外のアジアはお金が好き」というようにも思えます。果たしてそうなのでしょうか。(参考:http://www.mag2.com/p/news/193042

実は日本人も「お金が大好き」だった時代がありました。いわゆるバブル経済という時代です。当時の日本は好景気に沸き、「財テク」という言葉が流行り、皆が投資や不動産に興味を持ち、どうやってお金を増やすかを考えていました。実は、人の価値観というのはこうした時代の空気の影響を大きく受けます。特に10代の時にどんな世の中だったが価値観への影響度は大きいと言われます。タイもこの10数年目覚ましい経済発展をしてきたわけですが、比較的おカネを使うことが好きと言われる「Y世代」(=主に今の20代を中心とした世代)はそうした時代の影響を受けている部分があるかもしれません。でもそれは別にタイに限った話ではなく、経済が発展するとどこでも人々はそういう価値観を持つようになるのです。
こうした価値観のギャップは自国民同士でも日々感じているはずです。日本では昨今の若者世代を「ゆとり世代」と呼ぶことがありますが、価値観の異なる若者世代とどう一緒に仕事をしていくかは一つの大きな組織運営上のテーマとなっています。タイでも「Y世代」をどうマネジメントするかについての研修やセミナーを日常的によく見かけるにつけ、似た風景だと感じることがあります。

つまり何が言いたいかというと、どこでも似たことが起きているわけです。たまたま経済発展が違ったタイミングで訪れただけで、人間の価値観の形成のされ方は根本的には似ています。確かに外国人と仕事をしていると我々は日々価値観の違いに直面をします。それを「○○人だから」という風に短絡化してしまわずに、少し別な背景も想像して考えることができると、相手と自分の「違い」に振り回されずに、「同じ」という考え方で接することが出来るのではないでしょうか。

さて、このコラムはアジアの組織で働く読者に向けて書いていますが、その中には、人を率いるポジションについている方も沢山いるでしょう。次回からは、「リーダーの役割」について話を進めていきます。

会社経営について思うこと。

会社経営について、最近思うことをいくつか書いておきます。

1.「同じメンバーから違うアウトプットは出ない(出づらい)」

人間はある程度自分の得意なことが決まっているので、同じ人から新しいことはあまり出てこないな、と思います。出てこない人に「頑張って考えてみて」というのはお互いにアンハッピーです。

自分自身もそうで、色々と新サービス開発を試みていますが、作ったことが無いものを作るのは簡単ではなく、だったら作ったことある人に頼むか、どこかから借りてくるなりした方が圧倒的に速い。

イノベーション=組み合わせというように、新しいものを生み出したいのなら、いかに異分野の人を巻き込んで新しいものを作るかが問われると思います。マネジメントの役割は、そうした異分野の人を「知っていること」、その人を「巻き込める」こと、巻き込んで何かを動かす「スキームを作れる」こと、というなんじゃないかと思います。ちなみにその場合のポイントは「自分より優秀な人」にいかに「一緒にやりたい」と思ってもらえるか、だと思います。

2. 「限られたお客さんと複雑なビジネスをする(カスタマイズ型)」ことと「多くのお客さんにシンプルな商品を売る(プロダクト型)」ことは補完関係にある

起業するとこの2つのはざまで悩んでる人が多いなと思います。「どちらを取るか」という考えになりがちですが、むしろこの2つは両方ないと成り立たない、ということに合点が行くようになりました。 カスタマイズ型のビジネスモデルは「短期的な収益」「新しいナレッジ」をもたらしてくれる一方で、「顧客基盤の拡大」「長期的な収益」はもたらしてくれません。また複雑なビジネスはどうしても経験者がハンドリングしないといけないので、若いメンバーを育てるには不向きな仕事となります。 

プロダクト型のビジネスモデルはこれらの裏返しです。とりわけ「顧客基盤の拡大」による「長期的な収益」が得られ、またそこから「メンバーの成長」が得られるという意味でメリットが大きい。

大事なのは両社が相互依存関係にあるということです。カスタマイズ案件で生んだナレッジをプロダクトに還元しないとプロダクトは陳腐化する。一方でプロダクトで人を育てないとカスタマイズに投入できるリソースが増えない。「両方をバランスよく持つ」ということが必要だと思います。

3.「経営者が成長しないと会社は成長しない」

よく言われることですが、この「経営者の成長」という言葉を、最近はこういう風にとらえています。

一つは「新しい情報・ナレッジを取ってくること」。同じことをやっていてはサービスの競争力は落ちていきます。社長自身が一番勉強して、「新しい情報やナレッジを持ってくる」という価値を組織に提供して、メンバーからの信頼を得ることが大事だと思います。学ぼうとしないためにスタッフから見放される経営者は世の中に少なくないと思います。

もう一つは自分自身の「器を広げる」ということ。メンバーは、時に気に入らないことや予想外のことをします。それをどこまで「受け入れる」ことが出来るか。
もちろんしてはならないことはストップすることが必要ですが、単純に自分の価値観と違うだけで良いものをアウトプットしている場合は、「もしかしたら自分の基準が間違っているかも」と判断を留保して、「受け入れる」ということ。そうすことによってメンバーの能力を引き出し、活躍をサポートできると思っています。

4.「お金は使わないと入ってこない」

お金はあると思ってもすぐなくなるので、不安になると「お金を貯める」ことに走りたくなります。もちろんお金がたくさんあるのはいいことですが、それでもやはり「お金を適切に使う」ことの大事さを感じます。

事業会社の経営も、基本的には投資が少ないとリターンも少なくなります。つまり何に「張る」かというのが経営者の重要な判断となります。広告に投資しブランドを高めるのか、人に投資し戦力を拡充するのか。お金の使い方が上手い社長は、この「リスク無くしてリターン無し」ということがよくわかっている気がします。

また、お金を貯め始めるとどうしても「守り」のモードになってしまいます。守りモードになるとつかめるチャンスもつかめません。「攻め」続けて、ある程度危機感があるくらいのほうが経営者としては健全だと思います。

5. 「経営者はWHY(理念)を語り続けないといけない」

最近は経営理念のコンサルティングが多く、「ビジョン屋」さんみたいになってきているのですが、一方で自分たちの会社の理念をちゃんと語っているか?というのを気を付けないとなと思います。

WHY(理念)から語るのは抽象的だし、めんどくさいです。時々お客さんは「?」という顔を浮かべますし、スタッフは「またか」という顔をします。それでもなおWHYを語るのは経営者の仕事です。

有名なGolden Circleの動画でも明らかになったように、WHYは人の頭ではなく心に響きます。

心にメッセージを届けることは、採用場面で仲間になってもらうときでも、お客さんにサービスを買ってもらううえでも大事なことです。今の時代は「モノ」ではなく「コト」(体験や関係性)を求めているからです。

経営者がWHYを語らないと、スタッフはWHAT(サービス)の話しかしないようになります。そのほうがわかりやすくてラクだからです。しかし、WHATの話だけしているようではただの「業者」です。WHYの話ができるようになって初めて「パートナー」になれると思っています。


ということで、最近感じることを5つほどにまとめてみました。また定期的に学びをアップデートしたいと思います。

最近おもうこと。

最近思うこと。

最近の自分のアタマの中をメタ認知すると、数々のタスクを「右脳的」にとらえてマネジメントしてるなぁ、という感じです。例えるなら「ジグソーパズル」とか「レゴ」みたいな感じです。

例えば「新しいプロジェクト」という話が来ると、この仕事のカタチや形状は、誰の能力やモチベーション、とくっつくだろうか?と多面的に考えて、ピースがはまるかどうか考える感じです。

第一のピースはもちろん既存社員ですが、将来的に加入してくれるかもしれない社員候補、または「一緒に何かやりましょうね」と言っている社外の沢山の方々、というたくさんのピース群を、テーブルの上の山の中から取り出して、並べ替えたり違う方向から見たりして、お、ここ実はハマりそうだな、と思ったりしてくっつけていきます。どんどんピースがくっついていくと、そのジグソーパズルは大きくなり、つまりは組織としてできる能力、またビジネスの規模として広がっていくという感じです。

ピースをくっつけていく上で大事なのは、相手を理解する力です。人と会った時に、「この人はこういう仕事が好き・得意だろうな」というのが、注意深く話すと見えてきます。そういう記憶をちゃんと自分の引き出しに大切にしまっておいて、いつでも取り出せる状態にしておきます。そして未知の課題や困ったときには、頭の中のピース群から引っ張り出して、ご相談にいきます。「仕事を出す」とかそういう感じではなくて、ピースがはまる、つまり両者の求めるものが一致する、という状態を作らなくてはいけません。

また、メンバーの場合は「このメンバーにはこういう仕事があったら伸びるだろうな」という「成長課題」とともに理解しておくイメージです。例えば「この子は個々のタスクは強いけど、メタの視点や全体像をとらえる力が弱いから、逆にコンパクトに全体像をとらえられる仕事を一回経験させると一気に伸びそうだな」みたいなことを頭に入れておいて、そういう類の仕事が来たときの準備をしておく、または意図的に狙いに行く、みたいな感じです。

もう一つは結局やはり「自分」というピースの扱い方です。ジグソーパズルの場合は結局くっつくのは4か所です。レゴでもくっつく穴は限られているわけで、自分というピースになんでもかんでもくっつけるわけにはいきません。

だとしたら自分にくっつけるべき大切なピースは何なのか、つまり自分が時間を使う先は何なのか、を考えると、おのずと経営上の重要な活動に絞られます。それはブランディング、戦略立案、パートナーシップ、コア案件、メンバーの育成であったりします。それ以外のことは、まず自分以外のピースをくっつけて、その先にくっつけるようにしないと、完成作品が大きくなっていかないなー、と常にイメージしながら自分の仕事をデザインしていくことが大事だと思っています。

自分が倍の仕事の量をこなせれば、つまり自分というピースを大きくできれば、それもありかもしれません。そう思って最近やっているのが筋トレですがw、まぁそれでも既にかなり限界までやっている仕事量が2倍できるようにならないでしょうから、あくまで大事なのは他のピースをどううまく使うかなのかなーと思っています。

よく「経営はアートだ」といいますが、なんかわかります。僕なりの解釈はこうした、「全体の絵」をいろんなパーツや絵の具を使いながら仕上げていく、右脳的なプロセスだということです。若いころ音楽をしていた時に、楽譜と人を見ながら「音と音を繋げる」という作業をしていたことと、極めて似ているというか、本質はほとんど同じ作業だなぁ、と思ってそうしたシンクロを楽しんでいます。

新卒で海外で働きたい人にどうやって機会を作るか

海外で日本人同士で話していると、「”新卒で海外で働きたい”という若者」と、「それをあまりお勧めしない大人」という構図のコミュニケーションが時々あります。

双方に真剣な理由があって、学生からすると「日本の大手企業に入ってから駐在を勝ち取るまでに5年はかかる。貴重な20代の5年を費やす気にはどうしてもなれない」という熱い、そして強い思いがあります。

それに対して我々が伝える理由は以下。

1.日本の大企業の経験は一生の財産になるし、中途で大企業に入りたいと思っても入るのは簡単ではない→日本の大企業で学べることは多い。なんだかんだ、確率的には大企業に優秀な人が多い(企業によるけど)し、研修なども受けられる

2.海外現地採用で有益な就職が出来るとは限らない→これも企業によりますが、駐在員のサポート的な業務だったり、裁量権の少ない業務になりがち、というのがよくある傾向。

3.海外キャリアが必ずしも転職マーケットで高く評価されない
→グローバル人材、といいつつも海外経験だけではなかなか採用されることはなく、いかに有益な経験とスキルを身に着けてきたかが重要で(当たり前ですが)、「2」の項目と密接に絡みます

確かに上記のような状況としては事実としてあるでしょう。また、僕も大企業出身ですし大企業からキャリアをスタートさせるメリットは大いにあると思います。一方で上記のような理由を並べて若者の熱い思いにストップをかけてしまってよいのだろうか、という逡巡も正直あります。

また、「大手かベンチャーか」といった議論でもそうですが、会社をカテゴリーで捉える意味があまりなくなってきている時代であり、大手、ベンチャー、日本、海外、に関係なく「良い会社」というのは存在します。端的に言えば人材が優秀で、仕事を任せてくれ、その結果成長できる「環境」を提供してくれる会社です。そういうところに出合えれば、どの国にいようが、「入ってよかった」と思えるでししょう。

そういう意味では、「海外現地採用であっても、成長できる環境があって、転職マーケットでも評価される」ような「よい会社」が増えていけば上記の問題は解決されるわけで、それはひとえに雇用側の頑張り次第、だと思います。

大企業の現地法人の変革(現地採用にどんどん任せよう、という動きは徐々に進んでいます)に加えて、個人的には我々のようなベンチャーがその役割を果たすべきではないか、と思っています。

海外ベンチャーから優秀な日本人が(正確には日本人に限らないので「日本人も」ですが)どんどん輩出されるね、というような環境づくりを自社が率先して行っていきたいと思います。また、一社で行うよりもいろんな会社で行った方がインパクトが強い(社会的な認知を作っていくことが大事なので)ので、海外起業家の皆さんと一緒に取り組んでいけたらなぁ、と思っています。

私は「若者よどんどん海外に行け!」という論調にはあまり賛同していなくて、人それぞれ自分にあった人生を生きればいいと思います。

でも「どうしても行きたいのに行けない」のはややもったいなく、「行きたいと思うなら行けばいいよ」といえるような、適切な選択肢のある社会が望ましいなぁと思っています。

なので、「心の底からそう思うのなら、よくよく考えたうえで、イバラの道だと覚悟したうえで、行けばいいよ。ただしよい会社を選んでね」というようにしています。

まだつぶやきに過ぎないですが、つぶやかないと始まらないので、共感する方が増えて何か少しでも取り組みができるといいなぁ、とまずは思ったことを乱文ながらポストしてみました。今日は以上です。