会社を辞めてちょうど2年
通訳とコンサルタント
コラム:通訳に必要な「コミュニケーション能力」とは?~コンサルタントの視点から
※日タイ通訳者グループへの投稿記事の転載です
皆さんはじめまして。普段はタイの日系企業やタイの企業の各種トレーニングや、人事評価制度、組織風土などのコンサルティングをタイ人チームとともに手掛けています。今回通訳の皆さん向けに「コミュニケーション」というテーマでの記事をリクエストを頂きましたので、普段企業の研修で伝えているような話の中から、みなさんの役に立つようなことを頑張って書いてみます。
コミュニケーションの話に入る前に、まず自己紹介もかねて、私が通訳という仕事に対して思っていることを書きます。私は大学生の頃に、少しだけ通訳に憧れた時期があり、日英通訳の勉強をしていたことがありました。実力が足りずすぐに挫折してしまいましたが、以来、通訳という仕事をされている方には強いリスペクトの気持ちを持ってきました。その後様々なキャリアを経て、直近は10年以上コンサルタントという仕事をしていますが、常々このコンサルタントという仕事は通訳という仕事と似ている部分が多いのではないかと思っています。
「コンサルタント」という言葉にはどうも間違ったイメージを持っている方が多いように思います。弊社に入社を希望される若いタイ人の方の中には、クライアントに対してカッコよくアドバイスをするのがコンサルタントだと思っている方が時々いますが、そうではありません。自分は一歩引いてクライアントの話をよく聞き、必要なことだけを最低限伝えてクライアントを問題解決に向けてサポートするのが仕事です。コンサルタントというのはあくまで「黒子」(くろこ)、脇役のプロフェッショナルなのです。
こうしたあり方は通訳の方々も同じなのではないかと私は想像しています。依頼人であるスピーカーを超えて通訳が主役になってよい場面、というのは通常はあまり多くないでしょう。脇役のプロフェッショナルとして、スピーカーの魅力や考えを最大限引き出すためのスキルを発揮するのが通訳だと思います。そして、そこにおいて言語能力以上に大切なのがまさに「コミュニケーションスキル」だと私は思っています。コミュニケーションスキルは非常に多岐にわたりますが、特に通訳に必要と思われるスキルを以下に3つに分けて書いてみます。
1.わかりやすく話す ~抽象と具体のハシゴを行き来する~
コンサルタントも通訳も、すべてのベースになるのは「わかりやすく話す力」ではないかと私は思っています。通訳の皆さんは、クライアントの話がダラダラと長くて要点がわかりづらい場合、頭を抱えると思います。でもそれをなるべく整理して、わかりやすいタイ語に変換することを日々努力されているでしょう。コンサルタントも同じです。顧客から聞かされる課題や悩みのお話は複雑であることが多いですが、それを整理して「要するにこういうことですね?」とわかりやすくしてあげるとクライアントは価値を感じてくれます。こうした「話を分かりやすくする力」は通訳であってもコンサルタントであっても、我々のコアとなるスキルなのではないでしょうか。
そこでのキーは「抽象性」(abstractness)と「具体性」(concreteness) というキーワードです。普段皆さんが無意識にやっていることだとは思いますが、少し実例を用いながら解説してみます。
例えば私は企業から研修の依頼などを受けることが多いですが、最も多いテーマの一つが「リーダーシップのトレーニングをしてほしい」というものです。こうした依頼に「わかりました、リーダーシップですね」とすぐに反応してしまってはいけません。なぜならリーダーシップという言葉はものすごく解釈の幅が広い言葉でいろいろなことを意味している可能性があるからです。(こういう抽象度の高い言葉を”Big Word”といいます)
そこで「具体的にはどういうことを指しますか?」と聞いていくと「やっぱりリーダーですから一人一人の話をよく聞いて、Careする姿勢を身に着けてほしいです」という人もいれば、「リーダーらしく強いビジョンと力強い判断力を持ってほしいです」という人もいます。この場合、同じ言葉でも正反対のことを意味しています。これを確認せずに、Big Wordのままで受け止めてしまうと、およそクライアントが期待していたような研修にはならないでしょう。
通訳でも似たような状況は無いでしょうか。例えば日本人は「信頼」とか「誠実」とか、精神性を表す言葉が好きですが、これらの言葉も抽象度の高いBig Wordです。Big Wordは便利ですが、人によって意味が若干違う可能性があるということと、抽象度の高い言葉が並んだ話はわかりにくい、という弱点があります。
ゆえにこうした場合は「その人にとって“誠実”が意味するところ」をもう少し具体的に聞いていく必要があります。そうして例えば「誠実、それはつまり“嘘をつかない”ということですが・・」などと言葉を足していただけると言葉の理解も合いますし、聞き手からしても話が分かりやすくなります。こうした抽象度の高いワードをより具体化する作業が、話を分かりやすくする効果をもたらすと思います。(もちろん意図的に抽象度の高いままにしておきたいクライアントもいますから、ここはクライアントとの相談ということになります)
一方で、とにかく具体的であればそれでよいかというと必ずしもそうでもありません。具体的に話す人の特徴は、「話が長い」ということです。具体例をたくさん交えたり、描写を細かくすればするほど、話の「要点」がわかりづらくなります。そういう時は、「今のお話は一言でキーワードで表すと、何でしょうか?信頼ということでしょうか?」とか、今度は逆に「抽象化」のサポートをしてあげる必要があります。こうした具体的な情報に抽象的な概念を加えることを、「ラベリング(labeling)」といいます。イメージとしては、話のタイトル、「見出し」をつけてあげるような行為ですね。
つまり「わかりやすい」話というのは、「抽象性」と「具体性」のバランスがよく取れている状態、ということです。どちらかに偏り過ぎず、両者にうまく「ハシゴ(ladder)」をかけて行き来ができる状態を作れるのが、わかりやすい話の使い手ということになります。
2. オーディエンスを理解する ~知識レベルと言語レベル~
通訳には2つのお客様がいるのではないでしょうか。それはクライアント(client)(≒スピーカー)と、そしてオーディエンス(audience)です。いずれも大切な存在ですが、最終的に自分のコミュニケーションの「受け手」となるのはオーディエンスですから、そのオーディエンスをよく理解しておくことは特に大切だと思います。
普段皆さんは恐らく「参加者はどんな方ですか?」という確認をしっかりされると思います。これは私がセミナーなどをやるときも同じで、参加者がどんな能力を持っていて、どんな気持ちでその場に参加されるのかをよく確認するようにしています。例えば「自主的に」参加するセミナーと、「会社から言われて」参加するセミナーではモチベーションが180度違います。それはどういうセミナーの組み立てをするのか、に大きく関わってきます。
確認すべきポイントの一つは「知識」レベルです。相手が持っている知識によって、自己紹介一つとってもやり方が変わってきます。例えば私が自分の仕事を紹介するとき、「人事のコンサルティングをしています。例えば人材開発、人事制度、等のサポートをしています・・」という言い方をすることがありますが、これは相手がある程度ビジネスやマネジメントのことを分かっているときの説明の仕方です。
例えばこれが大学生相手にスピーチする際の自己紹介になると、「企業の経営者の相談に乗る仕事です。特にどうすれば社員が育つのか、どうすれば社員がやる気を持って働いてくれるのか、を一緒に考えていきます・・」といった言い方にするようにしています。相手が持っている知識レベルに想像力を働かせて、なるべくわかりやすく伝わるように内容を変えるのです。
通訳の場合はここまで話を変えることをするかどうかはわかりませんが、相手の知識レベルに合わせて話をしているな、という通訳の方には時々出会います。そうした方の話はやはり分かりやすいですね。
もう一つ意識すべきは「言語」のレベルではないでしょうか。つまりは使用するボキャブラリーのレベルということになります。
私は以前シンガポールとタイを行き来しながらセミナーをしていたことがありましたが、同じ内容であったとしても、使う英単語のレベルにはかなり気を使っていました。当然ながらシンガポールは英語圏ですので、それなりにProfessionalなvocabularyを使わないと、相手にインパクトを残すことは出来ません。しかし逆にタイに来ると英語のネイティブではありませんから、今度はなるべく平易な英単語を使わないと相手との距離感が出てしまいます。また話を理解されないのでは目的が達成されません。結果として、自分が話す英語はずいぶんと違ったものになっていきました。こうした相手を見た言語レベル、ボキャブラリーの選択というのも通訳の皆さんにとって大切なのではないでしょうか。
3. クライアントを理解する ~目的立脚で考える~
さて最後に3つめのポイントはもう一つのお客様、「顧客(client)」をよく理解するということです。
多くの通訳の方々は「顧客の依頼にどこまで忠実であるべきか」に悩むことが多いのではないでしょうか。例えば顧客の話がつまらない場合、「忠実」に訳せば訳すほどつまらない話になってしまいます。一方で、ある程度自分で話を加えたり工夫することもあると思いますが、程度が行き過ぎると原文への忠実性を欠きますし、クライアントにも失礼となってしまいます。
ちなみにコンサルタントも同じです。「言われたことだけ忠実に」やるコンサルタントもいますが、それだと必ずしも付加価値が出ない場合もあります。ある程度踏み込んで、言われてないこともやるバランス感覚が求められますが、これもクライアントとの距離感によります。
こうした通訳のジレンマを表した一冊の本があります。米原万里(Ms. Mari Yonehara)さんという女性通訳者が書いた「不実な美女か貞淑な醜女か」という本です。この本は私が若いころ通訳に憧れていた時に買って、それ以来愛読書になっています。この米原万里さんという方はロシア語の通訳として当時非常に優秀で、また有名な方でした。(その後残念ながら、若くして亡くなってしまっています。)
この「不実な美女」とは、「美しいが、夫の言うことを聞かない女性」を表し、「原文には忠実ではないが、美しい整った訳」の例え(メタファー)です。逆に、「貞淑な醜女」というのは、「醜いが、夫の言うことはよく聞く女性」という「原文には忠実だが、ぎこちない訳」ということの例えです。通訳のジレンマをよく表していると言えるかもしれません。彼女の文章を一部、抜粋してみます。
(Quote)
"世の中の通訳者は、圧倒的多数の場合において「不実な美女」か「貞淑な醜女」をしているのである。では「不実な美女」と「貞淑な醜女」とどちらがいいかと言うと、それは好みの問題だという風に男の人なら言うかもしれないが、通訳については、時と場合によるというのが正確な答えだろう。
例えばパーティーのような席では、(略)正確に情報を伝えるよりも、その時の雰囲気を損ねないような、あるいは盛り上げるような通訳が必要とされる場合が多い。(略)しかし、何億というカネの損得がかかっているような重要な商談の最中には、美しい訳よりも、日本語として響きがいいよりも、相手が何を欲しているのか、何で怒っているのかという事が正確に伝わる方が、はるかに大切。という事で、ケースバイケースで「不実な美女」がよかったり、「貞淑な醜女」が良かったりするわけだ。"
(Unquote)
...ということです。つまり「良い訳」の定義というのは時と場合によって変わるということです。少し言い方を変えると、それはクライアント次第、達成したい目的次第、ということなのではないでしょうか。
クライアントの話そのものがあまり魅力的ではない場合、多少の工夫でそこに魅力を添えることが時と場合によってあってもよいのかもしれません。より目的立脚で、クライアントの魅力を引き立てるためにやっていることなのであれば、そして事前の合意がそこにきちんとあれば、それは良い通訳といえるのではないでしょうか。
一方で、あまりに自分の判断で話を付け加えたり、また意訳を多くして「訳し過ぎ」てしまう場合は、行き過ぎとなる場合もあるでしょう。特にクライアント本人は「訳され過ぎて」いることに気づかないわけですから、それはそれで不誠実な状態です。また両方の言語がわかる人がオーディエンスにいるとその「訳の飛躍」には気づけてしまいますから、「あ、勝手に意味を足して訳しているな」という状況を見るとあまり良い印象を持たないと思いますし、通訳としての信頼を損なってしまうかもしれません。つまるところ、クライアントがどんな人で、何を伝えてほしいのかをよく理解することなのだと思います。
コンサルタントもそうですが、経験を積んでくるとついつい相手の事情や期待値を考慮せず、「自分のスタイル」が先行しがちになることがあります。自分のスタイルに自信を持つことは良いことですが、時にそれは過信や油断に繋がります。あくまで「脇役」であるのが我々ですから、クライアントの話に真摯に耳を傾けて、その場の目的に応じて、「不実な美女」なのか「貞淑な醜女」なのか、最適な解を選択できる存在でありたいものです。
さて、長くなりましたが、ここまでで通訳とコンサルタントの共通点に着目しながら、3つのポイントをご紹介してきました。
1. わかりやすく話す ~抽象と具体のハシゴを行き来する~
2. オーディエンスを理解する ~知識レベルと言語レベル~
3. クライアントを理解する ~目的立脚で考える~
これらのポイントが今後の皆さんの通訳のお仕事に少しでも役立つことを祈っていますし、また日タイを繋ぐお仕事を皆さんとどこかでご一緒できることを願っています。ありがとうございました。
【アジア式組織運営vol.1】近くて遠い日本人とタイ人
最近は外部のブログに記事を書いたりもしております。以下、
近くて遠い日本人とタイ人|「アジア式組織運営」を考える vol.01|m blog|MEDIATOR CO.,LTD. から記事を転載します。
すれ違う?日本人とタイ人
私はタイで企業の人材育成や組織のコミュニケーションの問題を解決するサポートをしています。テーマが「人」というだけあって、クライアントから我々のチームに寄せられる相談は非常に生々しいものが多いです。 「業務だと嘘をついて実は遊びに行っていたタイ人を皆の前で叱ったら、あとで会議室でタイ人に取り囲まれた。どうすればいいか」という日本人マネジャーの悩みを聞かせていただくこともあれば、「うちの日本人上司は厳しすぎる。どうして日本人はあんなに無駄に厳しいのか?」とタイ人から相談を受けて答えに窮したこともあります。
かくいう私もタイ人のメンバーを持つ一人の上司として、いつも自分自身のコミュニケーションは適切なのかを思い悩む日々です。自分の何でもない一言が相手の気分を害したのではないか、と考えるあまり眠れないことも数えきれないほどありました。「異文化を理解して仕事をしよう」というのは簡単です。それでもなお、タイという日本の産業にとって最も大切なこの国において、どうすれば日本人とタイ人が一緒に良い組織が作れるのかという問題は、長きにわたって私たちの前に横たわっています。
「同じ」だからこそ気になる「違い」
2014年にビジネススクールINSEADのエリン・メイヤーという人物が著した「The Culture Map」という書籍が大きな話題を集めました。彼女は世界中で行ったインタビューを通じてビジネスにおける文化の影響について8つの尺度で明らかにしました。タイで仕事をして色々なことを思い悩むようになった私は、その本を手に取りました。そこで私が再認識したことは、「日本人とタイ人は、極めて似ている」という事実でした。
世界の文化の中の比較でいけば、日本人とタイ人は極めて近い価値観を持っています。例えばいずれもハイコンテキスト、つまり空気を読んで日々生活しています。また、ネガティブなフィードバックを好まずさりげなく伝えることが良しとされます。これらは我々日本人、タイ人からすれば自然なことですが、アメリカ人、オランダ人、ドイツ人、などから見れば全く逆の価値観です。
一方で少し違いも見られます。例えば「信頼」の作り方。日本人とタイ人の信頼の作り方を比較すると、日本人はどちらかというと「タスクベース」。つまり一緒に仕事をすることで、相手のしてくれた行動に対して信頼を積み重ねます。一方でタイ人は「関係ベース」。つまり食事をしたりお茶を飲んだり、人間として付き合える相手であるかどうかで信頼関係が決まります。世界との比較でみれば日本人もタイ人も「関係ベース」ですが、二者のポジションには微妙な違いがあります。この辺りはタイで仕事をしている人であれば感じる部分があるかもしれません。
いずれにしても地球規模で乱暴に言ってしまえば、日本人とタイ人は「ほとんど同じ」グループに入ります。そう考えると、この「似ていること」に私たちはもっと感謝をすべきなのではないか、と私は思うようになりました。何十年もわたってアジアで最も友好的な関係を作ってきた日本とタイ。わずかな「違い」を尊重しながらも、「同じ」であることをもっと大切にしていきたい、そんなことを今改めて思っています。
アジアの良さを生かしたチームを作ろう
私は2012年にシンガポールで仕事を初めて、以来東南アジアを舞台に仕事をすることに決めました。そのきっかけとなった出来事があります。ある日系企業から「シンガポール人と日本人の関係を良くしたい」という相談をいただきました。その時のディスカッションの中でシンガポール人の人事部長がおっしゃっていた一言が私の心に残っています。
「日本人とか、シンガポール人とかにこだわるのをやめよう。私たちは同じAsian Citizenじゃないか。」
その言葉に私は多くのことを気づかされました。私たちアジアの国々の人々は非常に多くのコンテキストを共有しています。ますます国を超えて人々が組織を作りビジネスを作ることが求められる今、「違い」に目を向けすぎずに、同じアジア人として共通しているものに目を向けていくこと。そうした姿勢は組織運営上とても大切なことなのではないかと思い、以来アジアの組織づくりをライフワークとして取り組んできています。
このブログは、日本語とタイ語の両方で発信していくことにチャレンジします。タイで仕事をする日本人、これからタイに進出することに興味のある日系企業、またタイにおいて日本や日本人と何かしらかかわって仕事をしているタイ人…様々な方に読んでもらえる文章になればと思っています。大切な友人である日本人とタイ人がより良い関係になるように、また私自身が自分のチームメンバーをちゃんと幸せにできることを目指して、人事コンサルタントとしての知見と経験を使って発信をしていく予定です。どうかしばしお付き合いください。
クラクラ構造と組織開発
むかーし、佐藤雅彦さん(ピタゴラスイッチなどで有名な方)がエッセイの中で「クラクラ構造」ということをおっしゃっていて面白いなーと思った記憶があります。
佐藤さんによるとクラクラ構造というのはこんな感じ。
いつもコンビニで買う東京都推奨のゴミ袋である。袋から一枚とりだし、いつものようにゴミ箱にセットした。ところがゴミ袋が最後の一枚だったため、僕の手元にはゴミ袋を入れていた透明の袋だけが残った。その袋はもう使いようがなかったので、ゴミ箱に捨てた。この瞬間である、僕がいつもクラクラしてしまうのは。
いま捨てた袋は、つい先ほどまでゴミ袋が入っていた袋である。そのときはちゃんと機能していたのでもちろんゴミではない。袋としての意味があった。ところが中のモノが全部無くなった瞬間、袋はゴミになったのだ。そして今まで中にいれていたゴミ袋の中に入ってしまう。そんな奇妙な構造が、僕をクラクラさせるのだ。
ほかにも、「メガネを探したいのだけどそのメガネを探すためにメガネが必要」とか、「暗闇で懐中電灯を探すために懐中電灯が必要」とかそういうある種のループ構造になっている状態をさしている言葉だと私は理解してます。
最近ふと思ったのが、組織開発の場面でも似たようなことを目にするな、ということ。例えば、「日本人とタイ人のコミュニケーションのためのワークショップ」をやっている中で、「日本人とタイ人のコミュニケーションが足りない」みたいな話を声高にいう人がいたりします。
組織開発の場面だと「コミュニケーションを解決するためにコミュニケーションする」ことがあったりするので、これもある種のクラクラ構造だなと思ったりするわけですが、その構造を頭に置くことができないと、本質的な問題にリーチ出来ずに終わることもあります。
ここから感じるのは、「メタ認知」スキルをいかに養うか、ということ。「ある状況を解決しようとしている」場面で、「その状況に埋没して」しまっていてはその状況を解決できない。自分自身の置かれている状況をある種の箱庭のように客観視することが必要で、そこで求められるのは「第三者目線」であり、また自分自身のことをいったん置いておく「棚上げスキル」であったりします。
別にクラクラまではしなくていいのですが、ひとりひとりが自分自身をメタ認知できるスキルを持っている組織というのは強いんだろうな、となんとなく思うこの頃です。
海外拠点の人事異動について
採用にコミットする
転職について
最近、同世代かやや若い世代から転職についての相談をもらうことが多いので、ちょっと考えをまとめておきます。
僕自身約5年に1回くらい転職してきましたし、結局3社経験して独立したのでそれなりの体験談はできますが、結局「どこを選ぶべきか」ではなく「どういう考え方を持って決めるか」のほうが大事です。選択肢そのものについては結局「甲乙つけがたい」「行ってみないとわからない」「先のことは誰にもわからない」ものですから。
だとすると、行った先で想定と違ったとしても「とはいえ納得して決めたし」と思えることが大事で、そのためには選択するに当たっての「考え方」の方が大事です。
「何をするか」ではなく「誰と働くか」
僕が一番大事だと思っているのはこれです。ビジネスや商品の流行り廃りのサイクルは早くなるでしょうし、また会社の寿命もどんどん短くなる時代です。あなたがやっている「コト」は、5年後、10年後には同じ形であるかどうかわかりません。
そうしたときに重視したいのは、そこで働く経験から何が学べるか。仕事における学びというのは多くは接する人からもたらされます。「人生で最も長い時間を過ごしている5人の平均が自分である」という考え方があるそうですが、とりわけ20代の人であれば、どういう上司や同僚と時間を過ごすかでその後の自分が変わってきます。また、日々人を雇い、また人を集めてプロジェクトを組成しますが、「良い仕事」は「良い人」からもたらされることは間違いありません。逆に言うと今の仕事への不満が「人」なのであれば、それは去る理由の一つになるかもしれません。
「3回本気で悩んだらGo」
転職の葛藤というのは、アタマとココロが戦っている状態、とも言えます。自分の本当の感情は自分が一番良く分かっています。人間はうまく出来ていて「今の自分は自分らしくない」「このままでは自分は幸せになれない」というアラームは、自分の心が勝手に出してくれます。しかし、だからと言って簡単に会社を去ることができるわけではない。キャリア、給与、周囲への影響、様々なことを考えて普通は転職を踏みとどまります。それは大事なことだと思いますし、パッと転職を思いついてすぐに転職してしまうような人が社会で成功するとは思えません。たくさん悩んで当然です。
ただしグーが必ずチョキに勝つように、ココロはアタマに必ず勝ちます。人間も動物なので、論理は感情に勝てないのです。もし、前述したような違和感が一定の期間の中で本気で何度も訪れるようなら、それはもう我慢しなくてよいのではないでしょうか。特に優秀な人ほど論理で考えすぎてしまうのですが、「自分で自分を説得している」状態に陥っているとも言えなくもありません。僕は「死ぬほど考えて、それでも3回くらい本気でそう思うなら転職していいんじゃない?」と言うようにしてます。
「決断した後悔より決断しない後悔の方が大きい」
最後に、これも普遍的な法則かもしれません。人間は「○○しなければよかった」と後悔するよりも、「○○しておけばよかった」と後悔することのほうが多いそうです。また、「してしまった後悔」は、記憶が薄れると共にだんだん小さくなりますが、「しなかった後悔」はどんどん大きくなるという言い方もあります。ずーっと気になっている状態が続くのは精神的にもヘルシーではないのでしょう。
転職は「隣の芝」です。他の会社の方がよさそう、うちの会社はダメなのでは、という思いは誰しも持ちます。でも隣の芝が本当に青いかどうかは、実際に隣の家に行ってみるまで分かりません。実際に移ってみると、逆にもといた会社のことがよく見えることもたくさんあり、「前の会社の芝も青かったんだな」と気づくことも多いです。
それを「失敗した」と捉えるかはその人次第ですが、僕は「隣の芝がどうしても気になるのであれば、一度その芝を見てきたほうが早い」と勧めます。良いか、悪いかはあくまで複数の参照点を持たないと決められません。それであれば複数の参照点を持った方が自分自身にとってプラスです。もし、元の芝の方が青いと思ったら、今の時代「出戻り」を積極的に受け入れている会社もありますし、また、参照点が増えることで次の決断はもっと良質なものとなるでしょう。
以上、「考え方」のみ3つほど紹介しました。僕はこうした雲をつかむような考え方しかアドバイスできません。求められれば、どういう業界や職種が良いとかのアドバイスもしてきましたが、結局は個人差がありますし、上述したように具体的な選択肢については正解がないのであまり良いアドバイスができる自信がありません。
例えるなら結婚相手を相談されて「AさんかBさん、どっちがいい?」と聞かれてもアドバイスは難しいですが、選ぶときの考え方くらいならアドバイスできます。逆に言うと「AさんかBさんか」を人に尋ねて決めよう、としているのであればその人はあまり転職に成功しないかもしれません。大事なことは、最後は自分で決める。当たり前ですがこれが大事ですね。