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【アジア式組織運営vol.1】近くて遠い日本人とタイ人

最近は外部のブログに記事を書いたりもしております。以下、
近くて遠い日本人とタイ人|「アジア式組織運営」を考える vol.01|m blog|MEDIATOR CO.,LTD.
 から記事を転載します。

 

すれ違う?日本人とタイ人

私はタイで企業の人材育成や組織のコミュニケーションの問題を解決するサポートをしています。テーマが「人」というだけあって、クライアントから我々のチームに寄せられる相談は非常に生々しいものが多いです。 「業務だと嘘をついて実は遊びに行っていたタイ人を皆の前で叱ったら、あとで会議室でタイ人に取り囲まれた。どうすればいいか」という日本人マネジャーの悩みを聞かせていただくこともあれば、「うちの日本人上司は厳しすぎる。どうして日本人はあんなに無駄に厳しいのか?」とタイ人から相談を受けて答えに窮したこともあります。

かくいう私もタイ人のメンバーを持つ一人の上司として、いつも自分自身のコミュニケーションは適切なのかを思い悩む日々です。自分の何でもない一言が相手の気分を害したのではないか、と考えるあまり眠れないことも数えきれないほどありました。「異文化を理解して仕事をしよう」というのは簡単です。それでもなお、タイという日本の産業にとって最も大切なこの国において、どうすれば日本人とタイ人が一緒に良い組織が作れるのかという問題は、長きにわたって私たちの前に横たわっています。

「同じ」だからこそ気になる「違い」

2014年にビジネススクールINSEADのエリン・メイヤーという人物が著した「The Culture Map」という書籍が大きな話題を集めました。彼女は世界中で行ったインタビューを通じてビジネスにおける文化の影響について8つの尺度で明らかにしました。タイで仕事をして色々なことを思い悩むようになった私は、その本を手に取りました。そこで私が再認識したことは、「日本人とタイ人は、極めて似ている」という事実でした。

世界の文化の中の比較でいけば、日本人とタイ人は極めて近い価値観を持っています。例えばいずれもハイコンテキスト、つまり空気を読んで日々生活しています。また、ネガティブなフィードバックを好まずさりげなく伝えることが良しとされます。これらは我々日本人、タイ人からすれば自然なことですが、アメリカ人、オランダ人、ドイツ人、などから見れば全く逆の価値観です。

一方で少し違いも見られます。例えば「信頼」の作り方。日本人とタイ人の信頼の作り方を比較すると、日本人はどちらかというと「タスクベース」。つまり一緒に仕事をすることで、相手のしてくれた行動に対して信頼を積み重ねます。一方でタイ人は「関係ベース」。つまり食事をしたりお茶を飲んだり、人間として付き合える相手であるかどうかで信頼関係が決まります。世界との比較でみれば日本人もタイ人も「関係ベース」ですが、二者のポジションには微妙な違いがあります。この辺りはタイで仕事をしている人であれば感じる部分があるかもしれません。

いずれにしても地球規模で乱暴に言ってしまえば、日本人とタイ人は「ほとんど同じ」グループに入ります。そう考えると、この「似ていること」に私たちはもっと感謝をすべきなのではないか、と私は思うようになりました。何十年もわたってアジアで最も友好的な関係を作ってきた日本とタイ。わずかな「違い」を尊重しながらも、「同じ」であることをもっと大切にしていきたい、そんなことを今改めて思っています。

アジアの良さを生かしたチームを作ろう

私は2012年にシンガポールで仕事を初めて、以来東南アジアを舞台に仕事をすることに決めました。そのきっかけとなった出来事があります。ある日系企業から「シンガポール人と日本人の関係を良くしたい」という相談をいただきました。その時のディスカッションの中でシンガポール人の人事部長がおっしゃっていた一言が私の心に残っています。

「日本人とか、シンガポール人とかにこだわるのをやめよう。私たちは同じAsian Citizenじゃないか。」

その言葉に私は多くのことを気づかされました。私たちアジアの国々の人々は非常に多くのコンテキストを共有しています。ますます国を超えて人々が組織を作りビジネスを作ることが求められる今、「違い」に目を向けすぎずに、同じアジア人として共通しているものに目を向けていくこと。そうした姿勢は組織運営上とても大切なことなのではないかと思い、以来アジアの組織づくりをライフワークとして取り組んできています。

このブログは、日本語とタイ語の両方で発信していくことにチャレンジします。タイで仕事をする日本人、これからタイに進出することに興味のある日系企業、またタイにおいて日本や日本人と何かしらかかわって仕事をしているタイ人…様々な方に読んでもらえる文章になればと思っています。大切な友人である日本人とタイ人がより良い関係になるように、また私自身が自分のチームメンバーをちゃんと幸せにできることを目指して、人事コンサルタントとしての知見と経験を使って発信をしていく予定です。どうかしばしお付き合いください。

クラクラ構造と組織開発

むかーし、佐藤雅彦さん(ピタゴラスイッチなどで有名な方)がエッセイの中で「クラクラ構造」ということをおっしゃっていて面白いなーと思った記憶があります。

佐藤さんによるとクラクラ構造というのはこんな感じ。

いつもコンビニで買う東京都推奨のゴミ袋である。袋から一枚とりだし、いつものようにゴミ箱にセットした。ところがゴミ袋が最後の一枚だったため、僕の手元にはゴミ袋を入れていた透明の袋だけが残った。その袋はもう使いようがなかったので、ゴミ箱に捨てた。この瞬間である、僕がいつもクラクラしてしまうのは。
 いま捨てた袋は、つい先ほどまでゴミ袋が入っていた袋である。そのときはちゃんと機能していたのでもちろんゴミではない。袋としての意味があった。ところが中のモノが全部無くなった瞬間、袋はゴミになったのだ。そして今まで中にいれていたゴミ袋の中に入ってしまう。そんな奇妙な構造が、僕をクラクラさせるのだ。

 ほかにも、「メガネを探したいのだけどそのメガネを探すためにメガネが必要」とか、「暗闇で懐中電灯を探すために懐中電灯が必要」とかそういうある種のループ構造になっている状態をさしている言葉だと私は理解してます。

最近ふと思ったのが、組織開発の場面でも似たようなことを目にするな、ということ。例えば、「日本人とタイ人のコミュニケーションのためのワークショップ」をやっている中で、「日本人とタイ人のコミュニケーションが足りない」みたいな話を声高にいう人がいたりします。

組織開発の場面だと「コミュニケーションを解決するためにコミュニケーションする」ことがあったりするので、これもある種のクラクラ構造だなと思ったりするわけですが、その構造を頭に置くことができないと、本質的な問題にリーチ出来ずに終わることもあります。

ここから感じるのは、「メタ認知」スキルをいかに養うか、ということ。「ある状況を解決しようとしている」場面で、「その状況に埋没して」しまっていてはその状況を解決できない。自分自身の置かれている状況をある種の箱庭のように客観視することが必要で、そこで求められるのは「第三者目線」であり、また自分自身のことをいったん置いておく「棚上げスキル」であったりします。

別にクラクラまではしなくていいのですが、ひとりひとりが自分自身をメタ認知できるスキルを持っている組織というのは強いんだろうな、となんとなく思うこの頃です。

海外拠点の人事異動について

さて春は異動のシーズン。
 
海外拠点の場合は、異動=移動です。日系企業の海外拠点でもごっそりと人が入れ替わります。日本人駐在員の3分の1が入れ替わるというケースも。駐在期間が平均3年と決まっている会社は論理的に考えるとそうなりますね。
 それに影響されて、子供の通っているサッカー教室や体操教室も、みんな帰る帰る・・・仕方がないのですが寂しいものです。海外日本人コミュニティで育つと、子供たちも出会いと別れが多すぎるので、深い友情を育む経験をできないのではないか、と懸念します。大人ですら、「仲良くなってもすぐまた1年後にはお別れになってしまうのかな・・」という思いが頭をよぎりますから。
 駐在員の帰任という宿命を乗り越えながら組織づくりをしていかないといけないのが海外法人の辛いところ。現地メンバーが「またか」と白けた思いをしないよう、スムーズな引継ぎをしたいところです。
 悩ましいのはMDレベルが交代する企業。トップが変われば、事業方針、組織風土が大きく影響を受けます。また自分の後任に臨んだ人事がなされる保証はどこにもないので、自分が去った後の組織をどうするかは非常に難しいところです。
 「現地化」がキーワードの昨今、思い切ってローカルをトップに引き上げるのも一つの手、と真剣に考えている会社さんもあります。一方で頭に浮かぶローカル社員にすべて任せきるにはやや心もとない、というところが多いでしょう。
 そこでつい「ツートップ体制」といった体制をとりたい誘惑にかられますが、それだけはお勧めしていません。古今東西、「Co-Leader」といった体制がうまくいっている例は極めて稀です。リーダーというのは、組織が宿命的に直面する矛盾を意志を持って断ち切る仕事ですから、それをするのは一人でなくてはいけません。そもそも2人リーダーという体制は下が混乱しますし、またラインの本数が増えるのは組織効率を低下させます。
 日系企業で比較的機能していると聞く例は日本人を番頭的にNo.2に据えるケースです。現地人に現地組織の掌握を期待しながら、管理面は日本人が引き受けるケース。日本本社との連絡もその日本人が引き受けます。もちろんその方のバランス感覚はかなり求められますが。
 日本以上に「人」に組織がついてくるのがアジアの組織。人のつながりの連続性を落とさないよう経営をしていけるか。人事異動というイベントはあくまで会社側のご都合ですから、それによって現地側が影響を受けないような、日本側と海外の連携を意識したいものです。
  

採用にコミットする

今朝はタイ人のCV(履歴書)を大量に見ていました。 
求人広告を出しているので、日々、有象無象のCVが送られてきます。半分くらいは「お前、これ適当に送っただろ?(怒)」みたいなものなのですが、中にはキラリと光る方もいるので、そういう方とはどんどん面接をセットします。 
弊社はまだ会社が小さいのでできることですが、こうしたナマの情報を自分でたくさん見ることは勉強になります。よく「タイ人は履歴書を”盛る”ので参考にならない」と言いますが、そもそもたくさん履歴書を見てたくさん面接をしないと「実際どの程度盛るのか」の理解も進みません。
 人の採用というのはなかなかシステマチックにいかない部分があります。僕は学歴や経歴などのスペックは参考程度で、性格や価値観、そしてポテンシャルで人を採用していますが、この感覚を人に伝えるのはなかなか難しい。それゆえ、こうした「一次スクリーニング」から自分でやらないと、思わぬ金の卵を取り逃してしまう可能性があると思っています。
 今弊社に在籍している社員も、もし誰かに一次スクリーニングを任せていたら、ひょっとしたら面接にこぎつけていないかも?というぐらい、スペック的にはあまり関係ない人もいます。今日CVを見ていた人で、タイの有名大学を出た後、なぜかアフリカでNPOをしていた、みたいな人が入っていました。こういう人はスペックが違うのでCVで弾かれがちですが、逆に僕だったらこういう人は真っ先に会います。もちろん会ってみたら大ハズレかもしれませんが、誰が優秀かというのはそれくらい書面ではわからないものです。 
また、採用も営業と同じで「量」が大事です。沢山のCVを見て、たくさん面接をこなせば、少しずつ良い人の見極め方がわかってきます。よく「タイ人の性格を面接で見抜けますか?」と聞かれますが、もちろん難しいです。でも少なくとも2年前よりはだいぶ見る目を養うことができてきていると思います。これはもう、量をこなして訓練していくしかないです。
 「人材採用」は経営者がコミットすべき最も重要な仕事だと思っています。弊社がいちおう何とか2年近くやってこれたのも、優秀なスタッフが頑張ってくれているおかげ。マネジメントの各種領域は権限委譲しながらも、採用の部分だけは、一次スクリーニングからこだわって関わっていこうと思っています。まだまだ会社が小さいからできることで、大企業の方には参考にならない話で恐縮ですが・・。

転職について

最近、同世代かやや若い世代から転職についての相談をもらうことが多いので、ちょっと考えをまとめておきます。

僕自身約5年に1回くらい転職してきましたし、結局3社経験して独立したのでそれなりの体験談はできますが、結局「どこを選ぶべきか」ではなく「どういう考え方を持って決めるか」のほうが大事です。選択肢そのものについては結局「甲乙つけがたい」「行ってみないとわからない」「先のことは誰にもわからない」ものですから。

だとすると、行った先で想定と違ったとしても「とはいえ納得して決めたし」と思えることが大事で、そのためには選択するに当たっての「考え方」の方が大事です。

 

「何をするか」ではなく「誰と働くか」

僕が一番大事だと思っているのはこれです。ビジネスや商品の流行り廃りのサイクルは早くなるでしょうし、また会社の寿命もどんどん短くなる時代です。あなたがやっている「コト」は、5年後、10年後には同じ形であるかどうかわかりません。

そうしたときに重視したいのは、そこで働く経験から何が学べるか。仕事における学びというのは多くは接する人からもたらされます。「人生で最も長い時間を過ごしている5人の平均が自分である」という考え方があるそうですが、とりわけ20代の人であれば、どういう上司や同僚と時間を過ごすかでその後の自分が変わってきます。また、日々人を雇い、また人を集めてプロジェクトを組成しますが、「良い仕事」は「良い人」からもたらされることは間違いありません。逆に言うと今の仕事への不満が「人」なのであれば、それは去る理由の一つになるかもしれません。

 

「3回本気で悩んだらGo」

転職の葛藤というのは、アタマとココロが戦っている状態、とも言えます。自分の本当の感情は自分が一番良く分かっています。人間はうまく出来ていて「今の自分は自分らしくない」「このままでは自分は幸せになれない」というアラームは、自分の心が勝手に出してくれます。しかし、だからと言って簡単に会社を去ることができるわけではない。キャリア、給与、周囲への影響、様々なことを考えて普通は転職を踏みとどまります。それは大事なことだと思いますし、パッと転職を思いついてすぐに転職してしまうような人が社会で成功するとは思えません。たくさん悩んで当然です。

ただしグーが必ずチョキに勝つように、ココロはアタマに必ず勝ちます。人間も動物なので、論理は感情に勝てないのです。もし、前述したような違和感が一定の期間の中で本気で何度も訪れるようなら、それはもう我慢しなくてよいのではないでしょうか。特に優秀な人ほど論理で考えすぎてしまうのですが、「自分で自分を説得している」状態に陥っているとも言えなくもありません。僕は「死ぬほど考えて、それでも3回くらい本気でそう思うなら転職していいんじゃない?」と言うようにしてます。

 

「決断した後悔より決断しない後悔の方が大きい」

最後に、これも普遍的な法則かもしれません。人間は「○○しなければよかった」と後悔するよりも、「○○しておけばよかった」と後悔することのほうが多いそうです。また、「してしまった後悔」は、記憶が薄れると共にだんだん小さくなりますが、「しなかった後悔」はどんどん大きくなるという言い方もあります。ずーっと気になっている状態が続くのは精神的にもヘルシーではないのでしょう。

転職は「隣の芝」です。他の会社の方がよさそう、うちの会社はダメなのでは、という思いは誰しも持ちます。でも隣の芝が本当に青いかどうかは、実際に隣の家に行ってみるまで分かりません。実際に移ってみると、逆にもといた会社のことがよく見えることもたくさんあり、「前の会社の芝も青かったんだな」と気づくことも多いです。

それを「失敗した」と捉えるかはその人次第ですが、僕は「隣の芝がどうしても気になるのであれば、一度その芝を見てきたほうが早い」と勧めます。良いか、悪いかはあくまで複数の参照点を持たないと決められません。それであれば複数の参照点を持った方が自分自身にとってプラスです。もし、元の芝の方が青いと思ったら、今の時代「出戻り」を積極的に受け入れている会社もありますし、また、参照点が増えることで次の決断はもっと良質なものとなるでしょう。

 

以上、「考え方」のみ3つほど紹介しました。僕はこうした雲をつかむような考え方しかアドバイスできません。求められれば、どういう業界や職種が良いとかのアドバイスもしてきましたが、結局は個人差がありますし、上述したように具体的な選択肢については正解がないのであまり良いアドバイスができる自信がありません。

例えるなら結婚相手を相談されて「AさんかBさん、どっちがいい?」と聞かれてもアドバイスは難しいですが、選ぶときの考え方くらいならアドバイスできます。逆に言うと「AさんかBさんか」を人に尋ねて決めよう、としているのであればその人はあまり転職に成功しないかもしれません。大事なことは、最後は自分で決める。当たり前ですがこれが大事ですね。

 

オーナー社長とサラリーマン社長

オーナー社長が偉いとかサラリーマン社長が偉くないとか言うつもりはないのだけど、両者は全く異なる性質を持った仕事だ、ということはオーナー社長を少しだけやってみて初めて分かった。

オーナー社長、とりわけ創業者は、「始めた人」であるから、逆に言うと「やめること」を決められる人でもある。「ゲームから降りるかどうか」を選択肢に持つ人は「ゲームに勝つか負けるか」しか考えてない人よりも大局観に立てるのではないだろうか。

勝っても負けても自分から降りなければ勝負は続く。だからオーナーは負けを恐れない。負けを恐れず賭けに出るからこそ一定の確率で勝利する。サラリーマン社長は負けると自分の意志とは関係なく勝負から降ろされる可能性がある。

企業にとって大事なのは一つ一つの勝負に勝つか負けるかではなく、勝ったり負けたりしながらも生き続けること。だとすると一つ一つの勝負に一喜一憂しないほうが良い。

シンプルに言うとそういうことなのかなと。もちろん腹をくくった素晴らしいサラリーマン社長もいますが、あくまで全体傾向として。

日本が誇る理念経営は海外に広がるのか?

会社の存在意義、理念を重視した経営について。

最近タイの方と「タイの経営者は儲けることしか考えてない人が多い」という話題でディスカッションしていて、もちろん立派な経営者もたくさんいるものの、ふーむ、と思った。「理念が大事」と日本人の経営者はよく言うけど、それがなぜ大事なのか?はなかなかアジアの人に伝わらないことも多い。


それについて僕が思うことは3つ。

1. 企業の理念というのは「時代の価値観」の影響を受ける。日本だってバブルの頃はお金目当ての起業が多かった。タイの書店には今「金持ち父さん」が並んでいる。東南アジア全体ではAmwayやNuskinなどのネットワークビジネスが人気で、それも日本でかつて見た光景だ。そういう「時代の風」を浴びると、必然的に起業の目的がお金儲けになることは仕方ない。日本に「社会のために」という起業が多かった理由は、ソニーやホンダなど長らく日本をリードしてきた企業の多くが、「日本を焼け跡から立て直す」という動機を持った若者たちによって設立されたものだからだ。つまりは仮にタイの経営者が日本の経営者よりもお金儲けに比重を置いていたとしても、それは国民性などだけではなくも少し別な背景もあるだろうから、バランス感のある議論をする必要がある。

2.企業の理念のもう一つの要素は、「創業者の価値観」。やはり立派な人間の会社は立派な会社になる。つまりはリーダーの価値観、倫理感をいかに養うか。立派な人は一朝一夕にはできないけれど、特に価値観が養われるのは、10代後半~20代前半だと言われている。この時期に、どういう経験や勉強をするかでその人の価値観は形成される。倫理とは人間について理解をすることであり、実は人間についての普遍的な真理は既に多くの書物に書かれている。これは「読書」をすることで養われていく。いわゆるリベラルアーツがそれに当たる。タイの街中には本屋さんが少ない。そんなこともリーダーの倫理観に関係しているかもしれない。

3.一方で理念の「経営上の効果性」が理解されることも大事。理念はともすると感情的な語りになりがちで、左脳で理解したい人にはなかなか届かない。僕の論理は「儲ける」が目的だと本当に優秀な人は逃げていくということ。欲求の最上位は自己実現で、お金はそのために必要な手段。少なくない人が、お金を手にすると「大事なのはお金ではなかった」と語り始める。従い、経営ビジョンとして「儲け」をだけゴールにすることは優秀な人材を集めてモチベートする上では必ずしも合理的ではないということになる。理念の重要性が世界に広まっていくうえではこうした考えも必要ではないかと思う。
(FBポストから転載)